2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

おーうぇるよんだ

 とりあえずカタロニア賛歌とあなたと原爆まで読んだ。新庄訳の一九八四も読み直すつもりではあるけれど、その前にあなたとーまで読んだ段階で思うところがあったので書いておく。

 一九八四に長年親しんでいるディストピアファン(?)は知っているように、旧訳は言い回しが堅い。その硬度をとやかく言いたいわけではないので具体的な例は挙げないでおくが、とにかく読みにくいことで有名だ。そのことについて、以前に僕は以下のように書いた。

 

 新訳に比べて新庄哲夫の文章が硬い、というのは同感なのだが、そういった文体だからこそオセアニアの官僚制の恐ろしさ、リアリティの高さが実感できるのではないかと思う。新語法をニュースピーク、偉大な兄弟をビッグブラザーと言い換えたところで、そこでおこなわれるのは(オーウェル自身も嫌っていた)言葉のイコン化であり、それは同時に”1984年のような”という揶揄を可能にしてしまう。新語法の恐ろしさは改ざんという不誠実な態度ではなく、それが敷かれることによって人間の意識が狭められてしまうことにある。

 新庄の訳は確かに硬いが、それ故に人を慎重にさせ、この作品を”例の本”たらしめている。また、ソビエトを見ればわかるように、考えることすら許されない社会というのは歴史的に見れば恐ろしい。が、一方で現在との比較対象としての歴史を改ざんし、私を他者との比較ではなく、全体の中の細胞として規定してしまう世界というのは、劣等感や孤独とは無縁でもある。ウィストンの微笑みに共感できるか、それとも哀れと見るかは人それぞれだが、彼の絶望、諦観とその先にある幸せを肯定できる人も多いのではないか。

 あなたとーにも言えることなのだが、彼は言葉の精度、それが及ぼす影響に敏感だ。何かあればファシストトロツキストユダヤ人、こういった言葉を指示する以外の名目で使われている事態に頭を悩ませている。

 流石にファシストトロツキストといった言葉が罵倒する際に使われることはない。ままに読むには彼のエッセイの内容は古いといえる。が、しかし、彼の取るべきでない態度を我々はとっていないだろうか?

 今回、あなたと原爆の雑感で僕は以下のように書いた。

 歴史を知ること、言葉を紡ぐことの難しさを思い知らされる。あの右翼は、あの左翼は事実を見ていない、誇大妄想を持っている、そう口にするのは簡単でオーウェルもそのような事を言ってはいる。けれど、学ぶべきはその”攻撃的な姿勢”ではない。野次を投げるなら猿でもできるし、その根拠のない野次こそ彼が恐れた事だろう。右翼が明らかにした事実の方が確かなら、不快だろうとそれを受け入れる必要がある。でないと「反ユダヤ主義者ではないがユダヤ人は嫌いだ」と自己矛盾を起こしている人々と同じではないか。
 オーウェルは左翼で共産主義のようなところもある。しかし、だからといってコミンフォルムの陰謀を喧伝するような人物ではない。本書を読んだ人間はそんな間違いは起こさないだろう。しかし、そのような態度を無意識にとってしまうのも人間だ。事実誤認をしている人間をその間違いそのものではなく態度から拒絶していないだろうか?(まさしくファシストを罵倒するようにトロツキストという言葉を吐いていた共産主義者たちのように)邪悪と同じ意味でネトウヨ/リベラルという言葉を使っていないだろうか?

 人間の判断能力が予め分類された知識の上で機能している以上、こういった間違いを犯さざる得ない。自分自身も常にカテゴリーミステイクに怯えている。しかし、だからといって事実誤認や「歴史が正しく書かれうるのだ」という希望を捨てるのは如何なものか。何事も具体的に、己の不確かさえ開示しながら歩みを進めるオーウェルに叱られているような気分になった

 ファシストネトウヨトロツキストをリベラル、このように置き換えれば左右両方を包括しつつ、双方の欺瞞を明らかにすることができる。もちろん、本来的にネットで誤謬を犯しがちな人のことを指して、分析している文章もあるだろう(目にすることは滅多にないが)。ただし、こういった言葉は概して自分と正反対の立場を指して使われる。軍備増強を望む者、歴史を塗り替えようとする者、そういった人たちを指すために。しかし、それは建設的といえるだろうか。軍備増強については安全保障という観点から政治学的に、地政学的な議論ができるだろう。歴史修正主義も国体論という前例があるわけで、思想史から解釈は可能だ。何より、崇拝する共同体のために現実を、歴史を改ざんしようとしている人間に対して曖昧な言葉をもって議論をゆがめては何も得られるものはないではないか。それでは自分都合で事実をゆがめようとする相手と同じだといえるだろう。

 人は容易に事実を歪めてしまう。それも意図せずに。カテゴリーミステイク、論点先取り、議論が”白熱”すれば大学初等で習うようなことをやってしまう。(そもそも議論が白熱する必要なんてあるのだろうか?)戦争報道が過熱していることもあるし、今後もこのような間違いは起こるだろう。しかたがない。しかし、そこで踏ん張る努力は必要だと思う。自分だけは間違えない、そんなことはありえないのだから。

 そういうわけであなたと原爆おすすめ。最低限の知的作法を学ぶことができる。あと美味しい紅茶の淹れ方とかも書いてある。(僕はポットで淹れないから参考にできないのだけれど)