2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

また寝てた、あと本を読んだ。

 体調が元に戻ってもなぜか体温が下がらないのでまーた病院へ。感染症その他の炎症の疑いがあるということで血液検査その他を受けるも数値は正常。むしろ内臓周りの機能は好調で褒められる始末。

 これでは熱中症くらいしか病因は考えられない、ということで日頃の体温対策をどうしているか伝えたところ原因が判明。室温の上昇、重ね着、こういった風邪への対処が裏目に出たようで、体温調性機能が狂ったらしい。熱中症になって当然の高熱の環境にあったらしく、医師の方も苦笑していた。指示通り軽い運動と室温を下げたところ随分と体温が下がった。まだ平熱とは言い難いが、一時は重病の疑いもあったからめでたし、めでたし。

 でも意外だったことがある。重病の疑いがある、と言われて恐怖は感じたのに特に未練は感じなかった。恐怖は感じるのだけれど、これから何かやりたい訳でもないし、人生が上向くわけでもない。ないない尽くしで幸せになる、なんてことはありえないから当然のことなのだけれど、精神がガリガリと削られていくなかで未来への展望がまったく見られないのは自分でも驚きで、これで恐怖さえ取り除くこともできれば、なんてことも思った。

 ただ臥せっているわけにもいかないので本を読んだ。机に座るのが辛いのでゲームはできないけど、本なら寝転びながらでも読める。身体を動かさずに娯楽を楽しめる環境を生んだ人類の叡智に感謝。

 

 読んだ本。

 

「いまこの瞬間までのすべての出来事は物語になる」「この先起きるすべての出来事も物語になる」交錯する主観は現実を、限界状況を飛び越え空想と手をつなぐ。人の生は制御できないからこそ面白いのだ。
 
 私小説的な部分とガジェットの解説が継ぎ接ぎになっていて読みづらい部分もあるが、そういった荒削りな部分にそそられる。第三世界と母、ルツィアとアメリカ、背負ってきた罪を最後の審判にかけてしまう最期はやはり圧巻。二年周期くらいで読み返したくなる。
 総論部分のミルグラムの縦の圧力にイデオロギー論を横からかませて、さらにポーランド人との共犯意識にまで言及することで論理に幅の広さと立体感が出ている。もちろん、四百頁のうち三百頁を占める101警察予備大隊の記録の説得力あってこそのことで、史料と理論の組み合わせが如何に大切かを教えてくれた。著者自身が「安易な断定」を拒否しているが、それを含めて史学的な検証と多方面(主に社会心理学)のアプローチが両立している珍しい本。

 

 ファイトクラブ虐殺器官は似ている。いとーけいかく、という名がプロジェクトメイヘムとA計劃を混ぜた駄洒落だから。(これは生前のブログにも書いてある)。

 というのはまぁ半分冗談なのだけれど、文体も明らかに影響を受けている。風景描写をカットして文化文明の批評や小道具についての語りを挿入するあたりなんか特にそう。小説を読みながら学術書のような読後感を得ることができる、ということは学生時代から思っていて、何となく「お得な本」だとは思っていたけれど、その原点がファイトクラブだったのは意外だった。いとーけいかくというと他にもギブスン、スターリングらサイバーパンク(ただし黒丸訳)とPWシンガーの影響を受けていたとインタビューで答えていたけれど、文体面ではパラニューク(池田訳)の影響が大きい。

 ただ真似、と簡単に片付けたけれど、そう単純なものではない。観ているのではなく思ったことを書く、ということは風景を描写する以上に主観的でともすれば読者を置いてけぼりにしてしまう。「ぼく」がプライベートライアンが好きなボンクラで機械人形をパイソンのバカ歩きに例えられるほどふざけた知識を持っていて、何よりメタルギア(とその周辺知識)が大好きだからこそ、その手の人たちの共感を呼ぶことができる。冒頭の肉の棺桶を使ったHALO降下はMGSのフルトン回収あればこそ。そして、それをMGSや何となくCNNで観ていたような人たちをひきつける。

 たぶん、逆に俺がラノベや純文学の読み手だったなら言語SFの下りは退屈に感じただろうし、母とルツィアを経由して何故世界を滅ぼそうとしたのかは理解できなかった。実際、大学のラノベ読みの先輩はストーリーに魅力を感じなかった、とも言っていたのでこの本にも好き嫌いはあるし文体も内容にも特殊な事には違いない。でもパラニューク経由はやっぱり意外だ。

 ちなみに僕は学生時代に和辻の日本語と哲学の問題に触れていたこともあってこの本に多大な影響を受けた。チョムスキーソシュール、あるいは分析や知識の哲学を経由してこの本に辿りついた人もいるかもしれない。ジャンルの交錯から生まれるハッタリ感やそれが積み重なって生まれる重厚感、その先にあるアメリカ崩壊のカタルシス、いや何度読んでも面白いね。

 そういえばいとーけいかく死後に公開されたファントムペイン虐殺器官とハーモニーを合わせたような作品で、当時はその発展の仕方に感動した覚えがある。MGS2のPVを見て涙を流した男のファン小説が形を変えてゲームに組み込まれ作家のスタイルすらも変えてしまった。それも「言語SF」という特殊なガジェットをもって。


www.youtube.com

 

 MGS4ピースウォーカーからの発展は虐殺器官の影響なしに考えることはできない。逆に虐殺器官もMGSの歴史なしに生まれることはなかった。もしかしたらDEATH STRANDINGも彼なしには産まれなかったかもしれない。この関係性、発展の素晴らしさよ。


www.youtube.com

 

 あと虐殺器官を経由して普通のひとびとも読んだ。以前読んだときは「虐殺の方法」なんてことを思ったのだけれど、言葉よりも社会心理の方に重点を置いていてミルグラムや戦争における「人殺し」のアプローチに近い。

 そういえば服従の心理って文庫化されてるんだね。読まないと。

 

 あとはマザーグースつながりで不思議の国と鏡の国のアリス

昔はロンドン橋が好きだったけど、年を取るとジャックが建てた家の食物連鎖感やハバートおばさんのとんちき具合が好きになる。おさとうとスパイスで出来た女の子も外せない。そして永遠のトゥイードルダムとトゥイードルディー、ハンプティーダンプティーも。
胴のないチャシャ猫の首を如何にして切るか、宣告したあとの評決の意味とは、「時間」を潰すことは時間に対して失礼にあたるのではないか?(帽子屋)、このあたりの合理的なのにあまりにも不自然な感じが楽しい。自分の涙に溺れる小型アリスもファンタジックで良いけれど、幻想に溺れずに理屈で割り切ろうとする気配がある。純度の高いブリティッシュジョークという感じ。
鏡の国と題しながら像を反転させるのではなく、人間や物の価値観を逆転させる構成がうまい。先に挨拶することで食べられる事を免除される羊の脚、来るべき犯罪行為に備えて先に収監され裁判を受ける帽子屋、ハンプティダンプティの「非誕生日」。他にも多義語で会話を成立させる実験なんかもしていてすげーってなった。なった、けどこれ本当に子ども向けの本なんだろうか。言葉の裏を引っかきすぎていて理解できないと思う。あとジャバウォッキーかっこいい。けむろしきバンダースナッチに近づくなかれ!

 

 考えずに手に取ったけど、これも言語SFだった。ハンプティーダンプティーが非誕生日に女王からもらったプレゼントの下りとかウィトゲンシュタインっぽい。誕生日は太陽暦とその中の特別な一日を人々が認識しているからこそ成り立つ。非誕生日はさらにその先、概念の先の抽象、世界は事実の総体である。

 他にも赤の女王と白の女王との会話なんかもすごい。

「常に真実のみを語れー語る前に考えよーしかるのちに書き留めよ。」

「あたしが言ったのは、そんな意味じゃなかったー」と、アリスは言いはじめましたが、赤の女王さまは、いらだたしげにそれをさえぎりました。

「それこそがいかんと言うておるのじゃ! そなたは、言うことをちゃんと意味しておくべきであった! 意味のない子どもが、何の役にたつというのじゃ? 冗談にさえ意味がなくてはすまぬのじゃぞー子どもというものは、冗談よりも大事なはずではないか。そなたにも、それを否定することはできぬはずじゃ。たとえ両手を使おうともじゃ。」

「あたし、物事を否定するのに、手は使いません」*1

 

 もはや「語りえぬことには沈黙せねばならない」。一見ナンセンスに見えて、事態と事実の区別や逆説がふんだんに盛り込まれてる。読んでいて思ったけど、これ高校生にも内容の理解は難しいのではないだろうか。

 まぁそんな感じ。