2025年9月の読書メーター
2025年9月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:200ページ
ナイス数:38ナイス
https://bookmeter.com/users/159174/summary/monthly/2025/9
■交感する神と人 ヒンドゥー神像の世界
2023年の国立民族学博物館特別展『交感する神と人』の図録。ヒンドゥー教の儀礼に焦点を合わせた展示で信仰対象との双方向的なやりとりを重視しているのが印象的だった。ガネーシャの神像供物を“与え”、クリシュナをあやし、ヴィシュヌやパールヴァティ―のポスターと視線を“交わす”。目の前に神がいるように振舞い、対等に接しようとする姿は新鮮であると同時に親しみやすい。遡及的ではあるがキリスト教の聖体拝領や仏教の護摩(元々ヒンドゥー教の儀礼なので原点回帰というべきか)を思い出した。
なお実際の展示では信者が神像をあやす礼拝やジャナムアシュタリーと呼ばれるクリシュナの祭(人間ピラミッドをつくって吊るされた器を割る)の映像が上映されていた。定期的に礼拝開始の太鼓が鳴り響くなど館内は賑やかで、実に民族学博物館らしい展示だった。読了日:09月14日 著者:国立民族学博物館https://bookmeter.com/books/21709659
■世界の名著〈1〉バラモン教典,原始仏典 (1969年)
言うまでもなくバラモン経典は原始仏典や以後のあらゆる経典の種本ではあるのだが、バラモンにはバラモンなりの理屈……というか世界観があるということを心底思い知らされた。なるほどヴァガヴァットギーターから輪廻転生を読み取るのは容易い。しかし、それはマハーバーラタの戦場に赴くアルジェナの心理として読むから物語の次元において理解しているだけであって、他の教典を考慮するか否かで見方はまるで変ってくる。
クリシュナの云う「翳質の優勢なときに死ぬ者は愚者の胎内に生まれる」とはウパニシャッドの自然循環論の内での生命の有り様であり、また不二一元論の汎神論を前提としている。おそらくバラモン教のような世界観は仏教の苦の連鎖からの脱出を目指すという人間中心的な発想からは出てこないだろう。バラモン教にとって世界はブラフマーの内部で循環するものであって抗うものではない。これはここではないどこかへの脱出を目指す解脱と世界を受け入れようとする梵我一如の手段の違いにも表れているのではないか。
風や煙といった自然の動的な表象が輪廻転生を具体化する役割を担っているのも面白い。人間の精液と月(液を満たす器の表象)が流体で結びついているあたりなど端的だろう。この流体的なイメージは不二一元論を理解するうえでも欠かせない。形を成さないからこそブラフマーが普く行き渡るのが可能なのであり、だからこそアートマンとグラデーションを成すこともできる。
ウパニシャッドが新プラトン主義風なら不二一元論は普遍論争に相当する内容で、後者は汎神論的世界観において「個我は存在するか」という問いに「名は名でしかなく実在するのは神のみ」という答えを出している。流体的なイメージは流出論とはやや異なるが世界観と問題意識、言葉の有り様が中世キリスト教と同じ方向を向いていたのは興味深い。
論証学入門はカントとアリストテレスを足したような雰囲気。前半では認識が成立するまでを物自体から離れて感性と悟性に依る理論理性(指向性があるので細部は異なる)で説明、後半はインド風の三段論法や範疇論。前後は独立しているのではなく二つの前提の間には物自体を論拠として取り上げる際の動機や命題動詞をつなぐ様々な類推が働いている等々の説明がなされている。カントは近代哲学の祖として扱われているけれど、同じくらいに総合的なことが二千年前に書かれていたとして読みながら唸ってしまった。
原始仏教関係は既読だったのだが、バラモン経典とジャイナ教綱要に大きな影響、というかほとんど地続きなのがわかって面白かった。認識から業がうまれ(非実体的な)身が業をまとう、修行でそれをはらうという基本的な内容は両宗教からそもままもってきている。特にジャイナ教からの影響は濃厚で、原子(微点)から成る世界観はそのまま縁起説につながっている。両者は因果の有無で対立したが、古典物理と量子論の違いのようなもので物質素材に対する見解そのものに大きな差異はなかったようだ。
戒律周辺はジャイナ教が八正道や五戒を説き、仏教が四諦を後付けしている。因果の否定やそれに基づいた諦念がないと四諦や四法印は構成できないからあとになるのはあたりまえだが、日本仏教でもおなじみの戒律が仏教以前の宗教を起源なのは驚きだった。五戒は苦行とも結びつく概念ということは心に留めておくべきだろう。他にも原始仏典には反論という形で六師外道に唯物論や性善説について語られていたりと面白い記述がちらほら見受けられる。仏教を学ぶ上で外せない書物。
読了日:09月24日 著者:
https://bookmeter.com/books/662975
2024年12月の読書メーター
■夢遊少女/墓石の下
墓石の下が秀逸。地獄で天を駆け星星を巡るというあべこべ感、その最中の浮遊感はなかなかのもの。地獄池に潜るコマにも言えるけど、クルッと反転するコマが愛らしい。筋は怪奇だけど、見どころは幻想風味。夢遊少女は狂人とか死人がそれぞれ追い出されたり隠匿したりするあたりにメッセージが...多分ない。いい加減な筋だけど白眼清楚の妙子がひたすらかわいい。
読了日:12月08日 著者:島根 けんじ
https://bookmeter.com/books/22291209
2024年11月の読書メーター
■三国志 1の巻
劉備が督郵を殴りつけていることからわかるように演義よりは正史より、ではあるが単に時系列をなぞるのではなく、それ相応の性格描写があるのが嬉しい。従来なら督郵を殴りつける理由も漢室への忠誠だとか世を憂いた結果と書かれるところだが、北方版では素直に、賄賂に、ブチキレている。自尊心がそこそこ高めで、ふとした瞬間に気が立ってしまう性格は作中では一貫しており、それが巧みに正史や演義の合間に縫いこまれている。特に誰の配下にも置かれたくないという意志は明確で、蜀建国まで流浪を続けた重要な理由になっている。
気になるのは劉備の後漢への忠誠が微かで、自分の血筋を誇る事も帝を心配する様子もないこと。自国を蜀”漢”と呼ばれたら睨み返しそうな性格をしている。後漢のことを思うたびに涙を流していた演義のそれとは別物だ。個人的にはこの時代の人間が孔孟そっちのけでここまで冷徹になれるのか疑問なので引っかかった。演義や吉川版に慣れ親しんだ人はかなり違和感を持つのではないだろうか。
読了日:10月27日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564685
■三国志〈2〉参旗の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
なんといっても徐州、陶謙。血筋に頼んで陶謙から譲られ、曹操を防ぎ、苦労した末にあっという間に呂布に取られてしまった地が政治的策謀の中心と化す。分立し殺気立った豪族への生贄(治安維持&掃討作戦)のために劉備に領土を譲る陶謙、その手間を省くために呂布に押し付ける劉備、そして呂布の侵攻を誘うために曹豹を撃ち殺す張飛。陶謙はすがりつかないし劉備は泣かないし呂布も道化ではない。取ってつけたような張飛が起した事件も劉備の策略の内に組み込まれている。すべての人間がニコニコしながら狡猾に立ち回る。素晴らしい。
また呂布も面白い。従来なら武に強く女に弱い腑抜け、美女連環計に引っかかる道化として描かれるところだが、北方版は妻への愛、保護欲で貫かれている。娼婦には目もくれずに妻に贈り物を差し出して有頂天になっている呂布などこれ以外ないだろう。ただ、微妙にずれているのは相変わらずで妻に依存が自体をどんどん悪くしていく。実際、丁原を斬ったのは妻と洛陽で暮らせないからで、董卓も老いた妻を馬鹿にして死んでいる。従来の呂布ではないが、武と政のバランスを取る事ができない不器用さ、妙なところで素直なのが彼らしい。
あと呂布視点で丁原と董卓の父親としての評価が書かれているのも興味深い。斬る=親離れなんだね。
読了日:10月27日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/534280
■三国志 3の巻
呂布が不器用なのは相変わらず、なのだがそれを武官としての矜持が覆い別なものへと変異させている。これによって文官と距離を置く姿勢がより強調され、逆に陳宮の支配者としての力量不足が明らかになった。演義にあった処刑前の曹操の軽蔑こめた眼差しも土壇場で裏切った劉備への「大耳児」の罵声もここにはない。不器用故に誰にも仕えず、しかし強大な力で押し勝ってきた孤独な男の姿がここにある。
死の直前に呂布は誰かに仕えること、敗北を”男”として、そして”誇り”が許さないと語る。陳宮と組み領土の主となったからには従臣する気もないし降伏などもっての他。武官に特化した彼の性格を深く表すと共に、下邳の主になった経緯や劉備や曹操と対立した諸々の経緯(運命)を総括した名場面だろう。北方三国志は丁原、董卓、劉備、曹操、複雑怪奇な運命に翻弄されながらも己を貫いた呂布という”男”を描ききっている。
また本書は呂布を強調するのと対応して劉備の漢王室再興への執念、曹操の知略が強調されている。前者が蜀漢復興に結実するのは言うまでもないが、後者は晩年の董承粛清や猜疑心の肥大化にも通じている。伏線も兼ねた性格描写として非常によくできている。
読了日:11月03日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564687
■三国志 (4の巻) (ハルキ文庫 き 3-4 時代小説文庫)
官渡まで、なので間に演義では董承粛清や劉備の徐州攻略や関羽の帰還やら色々とあるのだが北方版は物語にあわせて色々と改変している。まず雷怯子が変更、というか大幅に削除されている。そもそも雷が落ちない、よって劉備も怯えない。これは一巻からの性格描写を見れば明らかなように、激情型の性格に合わないからだろう。また、袁紹を見下す台詞が一言あっても英雄論はない。代わりに董承粛清が臭わされ曹操が劉備に関わるなと警告している。演義、正史から政治劇への落とし込みが巧みだった。
また劉備が董承に関わらないので必然的に粛清は外部の出来事とされ、玉帯の一件も小さく描かれている。代わりに帝と関係して許攸の漢室への忠誠が示されているが、これは後の曹操と荀彧の決裂を暗示しているのだろう。董承粛清から荀彧への視点移行、そして対応する曹操の漢室観の表明がうまくいっている。
関羽は正史が基準で非常にあっさりしている。五関突破はなし。もちろん避客牌もない。功績といえば顔良を斬ったくらいのもので文醜との対決もなし。ことさら仁義を強調しないのは相変わらずというか、作風を貫いていてよかった。烏巣を攻略する曹操の勇姿については書くべきこともない。これほどかっこいい曹操は他にいないのではないか。
読了日:11月03日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/576608
■三国志 (5の巻) (ハルキ文庫 き 3-5 時代小説文庫)
血を吐いて死んでしまう袁紹と曹操に命乞いをする袁譚、それを冷めた目で眺める張郃...正史には単に病死と書かれている袁紹の死因が、こうも明らかに胃病として表されると曹操の敵とか冀州の主とは別な、病を押して戦場に赴いた老将としての側面が見えてくる。食道あたりの違和感を独白で示した作品はこれくらいのものではないか。
そして彼の癇癪に愛想をつかして裏切った張郃が彼の息子の処刑までも見届けてしまうという皮肉。「男子たる者、死を選ぶべき時がございましょう」の一言が痛烈だが、この台詞に込められた袁家との関係や経緯には考えさせられるものがある。原典の少ない記述と北方の人間観が互いに高めあっている巻。
読了日:11月10日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/576609
■三国志 (6の巻) (ハルキ文庫 き 3-6 時代小説文庫)
畑を耕した手のまま劉備と会う孔明……が原典のままに出てくる。それ自体が珍しいのだが、襄陽撤退の際に領民を盾にしたり、劉琦が豪族を束ねるための傀儡と化していたりと手口がいろいろと悪どい。特に劉備一行の劉表と劉琦への態度は際どく、一巻あたりでちらついていた儒教軽視が再発したかのようだ。一応、戦略む戦術も孔明の差し金ということになっているから非道なことは孔明が担う、ということになってはいるのだろうけれど、どうも無理をしている感がある。
荊州知識人の端くれである孔明が漢室を否定するわけがないし、だからこそ反曹操で漢室を担う劉備を支持したという事情もある。荊州知識人と漢室の遭遇を象徴するのが三顧の礼だった、とも言い換えてもいい。そういった縦の関係ありきで回っていたのが当時の中国だったわけで、そこを軍隊の規模云々で改変していくと矛盾が生じる。(実際、北方版は三巻前後で劉備の人格が分裂している)
現代人として徳で腹はふくれない、と言いたくなる気持ちはわかるが地縁=儒教で回っていたのが当時の世界だったわけで、それを書き直そうとするとかなりの無理をしなければならない。三国志となればなおのこと。ここに違和感を持つかどうかは人によるだろうが、自分は大陸の戦争と孔孟(とそれを軸にした地縁集団)は一体だと思っているのでかなり違和感があった。改変するにしてももうすこしうまくやってほしかった、というのが正直なところ。
他にも孔明が三顧の礼で昼寝もせず旅にも出ずに劉備の漢室論(ただし蜀漢正統論ではない)について問答したり、自ら剣を握って出撃する等々、正史演義を問わない人物描写がちらほら見受けられる。こちらの孔明の人物造詣は魅力的で斬新だとは思った。
読了日:11月10日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/576611
■三国志〈7の巻〉諸王の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
皆大好き赤壁。連環計のない正史通りの……、と言いたいところだがそもそも正史には殆ど情報がない。正確には演義からの逆算で描かれた赤壁戦と解釈すべきだろうか。(なので殊更演義を貶す必要はない)。連環計は水軍に数で対応しようとした曹操の怠慢とされて、彼の官渡以後の性格描写を表象しているようで面白かった。後の再起を兼ねた馬超との張り合いや曹操の老化の表れともいわれる帝位簒奪に通じている。(魏王即位後のあれこれについては研究家にも印象がよろしくない)
黄蓋の火攻めは曹操の諜報を逆手に取った周瑜の偽旗作戦とされている。これも基礎は史実だが情報戦を得意とした曹操軍のやり口をあえて裏返している。性格描写にもいえることだが、戦略戦術の記述を一貫性を逆手に取る、という作風がここでも効果を発揮している。
一方、東南の風は蒲圻に駐屯していた陸遜が観測した情報を元に立案する、という軍隊らしい組み立てになっているが、これはこれで近代感があってよかった。”歴史”を意識するのなら占星術のひとつは欲しいところだが、現代風の改作を狙った本作の狙いは成功しているといえる。
また後半で関羽が益州を取ろうを焦っているのが興味深い。しかもこれまでの年月を数え、五十路を迎える自分に対して苛立ちを感じている。後に彼は領土をめぐって色々と問題を引き起こすが、その原因を精神面から抉る説得力がある。思わず麦城での最期を想像してしまった。
読了日:11月14日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564690
■三国志 (8の巻) (ハルキ文庫 き 3-8 時代小説文庫)
周瑜病死。病人の苦しみがかなり生々しく、具体的に描かれている。袁紹もそうだったが北方版は痛みや苦しみから目をそらなさない。そこが共感を呼ぶ点でもあるのだろう。しかし登場人物が退場しても物語は続く。本来なら荊州益州でひと騒動起こるところだが、周瑜が病死したことで孫権が萎縮し、それにより劉備らの領土拡大が加速。劉備も孔明も死を悼みながらも軍を進める、という風で戦時の厳しさが表われている。北方版はこういった人間関係と戦略の匙加減が実にうまい。
これは馬超と韓遂の連環の計にも言える事で、彼らを引き裂くために賈詡が伝えた言葉は「なぜ涼州でなくてはならないのです。雍州ではなぜいけないのですか」の一言。韓遂自身の図々しい振る舞いもあって馬超の疑心暗鬼と決裂までが滑らかに描かれている。自分はこの作風に墨塗りは似つかわしくない、と思っていたから粋なやりとりには感動させられた。
そして荀彧は一直線に毒死。もちろん空壷もない。墨塗と同じく小汚い手口は排除するという創作上の判断、男がすることではない、という判断なのだろう。自分としては劉備が実力主義からいきなり漢室支持に転向したり、曹操と荀彧の論争が平行線だったのが気になっていたから、空壷くらいはやって欲しかった……と思った。ただ、男らしい曹操も中々良いので単純に娯楽としては面白い。悩ましい。
読了日:11月14日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564691
■三国志 (9の巻) (ハルキ文庫 き 3-9 時代小説文庫)
樊城の戦い。本来は荊州返還交渉から呉の裏切り、と続くが北方版にはその陰湿なやり取りはない。そもそも直接対話がないので呉が卑怯者として扱われることもなければ、関羽の忠誠が讃えられるようなこともない。もちろん呪いもない。関羽の死は漢中統治にともなう外交や内政の連鎖的な混乱の結果として描かれる。
漢中統治にともなう人材の引き抜きによって発生した荊州の混乱、その内政問題に軍人として対応してしまう関羽、それに脅威を感じて裏切る糜芳。不幸の連鎖は麦城の悲劇の必然性を訴える一方で、IFを想像させる。漢中攻略後の処理にもっと時間をかけていれば、もし関羽の裏で内政を司るはずだった龐統が死ななければ、これがなければと思わせる原因が散りばめられている。
そもそも北方版の関羽はそれほど頑固ではない。荊州三郡の返還を落としどころとして納得しているし、自身が内政に向いていないことも理解している。それがどうしてこうなってしまうのか。樊城の戦いはまるで事故のようだ。歴史にIFはない、と世間ではよく言われるが逆に言えば歴史にはいくつもの仮定を想像させるほど複雑だともいえるだろう。北方版の樊城の戦いはその歴史の特性を持っている。
おそらく張飛の暗殺も呉の戦略性、言い換えるなら本作の歴史小説としての性格をはっきりさせるためなのだろう。北方版は度々仁義を否定するために原典を改めているが、これもその一環なのかもしれない。ただし、関羽に対する眼差しは対象喪失を帯びている。心の空白を埋めるための調練も運動療法に近い。仁義、儒教の否定が現代を呼び寄せているのは皮肉だが義兄弟の個性化には一役買っている。なかなか面白かった。
読了日:11月18日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564692
■三国志〈10の巻〉帝座の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
関羽追悼、張飛暗殺、夷陵前夜。夷陵出兵は演義でも史書でも関羽に激昂した劉備の念晴らしとされているが、北方版はかなり冷静に捉えている。劉備は確実に孫権の首を取ろうとじっくり計画を錬り、張飛はそれを察して立ち回る。イラつきを抑えるために馬でかける、兵を厳しく鍛える、という工夫が理知的といえるだろう。演義/正史ではただ見送っていた孔明も荊州でとる戦略と揚州への侵攻を別けて考え、出兵するにしても揚州攻略は二年待ってもらいたい、と劉備に意見している。
読了日:11月18日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564693
■三国志〈11の巻〉鬼宿の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
夷陵の戦い。迫る蜀と待ち伏せる呉、逸る部下を抑える陸孫というような具合で少年漫画みたいな筋。あと劉備が死んで終わる。前巻の悲壮感がもうちょっと欲しかった。
劉備が死ぬ直前に漢室についていろいろ語ってるけど相変わらず曖昧模糊としている。手段として後漢を支持した、らしいがでは劉表に対する当たりの強さや曹操にへの憎悪は何だったのか。そもそも北方版では後漢の人間にあえてついていこうとする豪族もいなかったわけで、劉備が蜀漢を標榜する意味がない。あまり外在的な視点であれこれ言いたくはないけど、原典の蜀漢正統説に基づいた物語の流れと北方の思想で分裂しているのではなかろか。
読了日:11月18日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564694
■三国志〈12の巻〉霹靂の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
南伐から北伐へ。劉備が没後のことで演義や吉川版などではあっさりとしているのだが、北方版は人物造詣から戦略にいたるまで丁寧に詰めている。滑稽に描かれがちな孟獲も現地の南蛮の統一の必要性から説明していてわかりやすい。「攻めるは上策、城を攻めるは下策」とはよく言ったもので、南は異民族の国ゆえに統治が及び難く、それ故に人望の厚い孟獲を心から帰順させなければならなかった。七縦七擒とは虜にするために交渉の長さでもあるのだ。今までも荊州の豪族、涼州の烏桓など他民族をまとめる難しさは何度も示されたいたので、その積み重
北伐は街亭が主で馬謖が山に登ってしまうのも原典通り。孔明が階位を落とすのも同じだが、その過程で馬謖の実戦経験の有無が問題になっている。調練では得難い戦場の空気感、南伐で得られるはずだった精神、そういったものに疎い孔明の欠点が馬謖を斬るに着地する。この辺の整合性の取り方、人物造詣の厚みは流石。
面白いのはこれを議論する場で趙雲が魏延の再評価を求めていること。魏延は演義では寝返った瞬間から孔明に敵視されているが、北方版はこれを逆手にとって馬謖と対応させている。土壇場で増長し失敗した馬謖と着実に仕事をこなした魏延の差は実は孔明の選り好みの不確かさでしかなかった……というのが何とも空しい。同時に作者の解釈の手腕に
読了日:11月24日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564695
■三国志〈13の巻〉極北の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)
星は堕ちない秋風五丈原。とはいえ孔明の扇動と奇策は相変わらずなので司馬懿との我慢比べも同じ。魏からすれば攻め込めば伏兵から包囲なんでもありの地獄、しかし膠着状態は軍人として我慢ならない、という具合。北方版は軍師と武将の戦略の違いや軍人特有の自尊心の問題に焦点を当て読みごたえがある。陸遜が指揮した夷陵戦もそうだったが、持久戦の苦痛と有効性がいい具合に均衡がとれている。ここぞと言うところで魏軍を阻む拒馬槍が熱い。
最期は馬超と馬駿白で無常というわけでも続きを予感させるわけでもない不思議な結末。頑張れば司馬炎まで書けただろうけど、あえてそうしない。そして鏡が割れて終わるのがこの小説らしい。ただキャラクターチックといえばそう。
読了日:11月24日 著者:北方 謙三
https://bookmeter.com/books/564696
■魏武注孫子 (講談社学術文庫)
曹操の注釈入り孫子。やはり軍人……というか曹操が書いただけあって好戦的な内容になっている。計攻篇二「道とは民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可く」はそのままに読めば信、孫子の生きた時代を考慮しても仁義を説いていると解釈すべきだろが、あえて曹操は「之を導くに教練を以て」と注をつけている。五徳よりも教練というあたりが如何にも曹操。劉備ならこのようなことは考えもしなかっただろうし、逆に漢室を滅ぼした男ならこう解釈するよな、とも思わせる。三国志の印象そのままで心が踊った。
なお曹操の注釈、補足はすべてこの調子。戦闘よりも他の手段を説く謀攻篇三「軍を全くするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ」にも「師を興さば深入し長駆して」と専制攻撃の優位性を説く注がついている。上文には「国を全くするを上と為し」とあるのだから、戦術級の解釈を施すのは如何なものか。渡邊の解説によれば北宋の張預は奇策を謀ると解釈した、とのことだが素直に読めばそうなるだろう。飛躍の距離が覇者。
理念については思うことがあったようだが、戦場のあれこれについては注というより事例の提示になっている。戦術についての項で地形の情報が抜けていればそれを記し、士気の問題については兵士や将軍の精神状態をどう上げるか、また現状をどのように分析するかを具体例を示して説明。実際の用兵を考えた書き方になっていてハッとさせられる記述がちらほらあった。
ただ頁が進むと注も補足も減る。これは段々と戦術や謀略といった具体的な内容が増え、わざわざ付け足す必要がなかったからだろう。逆に言えば曹操がままに受け入れていた、感心していた部分ということになる。そういう意味では曹操が孫子に何を見出し、逆に何に反感を持っていたかがわかるともいえる。
孫子には岩波の金谷訳をはじめ数多の訳が存在するが、ここまで尖った注釈の入ったものは珍しいのではないだろうか。しかも注を入れたのは三国志のあの曹操。孫子の多面性を学ぶために、あるいは中国での受容の一端として、もしくは三国志の副読本としても使える。今まで翻訳がなかったのが不思議なくらい面白い作品だった。
読了日:11月26日 著者:曹 操
https://bookmeter.com/books/21494223
■『孫子』の読書史 「解答のない兵法」の魅力 (講談社学術文庫 2841)
孫子の作者を巡るあれこれから中国と日本での受容、著者選りすぐりの注釈をまとめたメディア論系の研究書。作者については銀雀山漢簡を軸にした編纂過程の推定が主で、そこから派生する形で孫臏や孫武ら作者に関する議論、弟子(自称)や朱子学による改作といった漢代前後の孫子像を探っている。曹操の注釈はもちろん、司馬遷の史記に描かれた孫子像や北宋での武挙(科挙の軍事部門)への導入なども紹介されている。
日本でまず影響があったのが臨済宗らしい。さすがに兵法書として読まれたのではなかったが、禅僧に影響を与えて公案(碧巌録)に影響を与えるに至った。仏も禅も孫子に関わりがないように思えるが、読書を経由して兵法が宗教に影響を与えているというのが面白い。
江戸では清朝に警戒した朱子学が……ということで山鹿素行、荻生徂徠、新井白石らお馴染みの名前が並ぶ。特に荻生徂徠は意味解釈の水準が高いらしく古文辞学の面目躍如というところ。そのあとは阿片戦争を期に佐藤一斎が、日清戦争後に日本海軍がと危機の度に担ぎ出される。戦後は戦後で公安関係と労働組合両方に両方に影響を与え続けたという。
孫子は兵法書の代表のように扱われる割に内容は曖昧なのだが、その曖昧さが読者自身を反射し引き付けるのだろう。朱子学、国学、日本軍、公安と国防に関係する事が多いが戦前からビジネス書としても読まれている。兵法という分類に囚われない受容のされ方が面白かった。
読了日:11月26日 著者:平田 昌司
https://bookmeter.com/books/22231437
2024年10月の読書メーター
■三国志曼荼羅 (岩波現代文庫 文芸 119)
三国志(演義)をふわっと補強しつつ国家から英雄に至るまで多角的に解説した本。正史、演義はもちろん、横山や吉川も補うもので副読本としても使える。内容は組織構造、英雄論、日本での受容の三本立てで、魏呉蜀のそれぞれの性質にはじめて、そこでの武将武官の役割、英雄たちの実績、性格とどんどん深堀する構成をとっていて非常に読みやすい。それなりに正史を意識してはいるが主要人物以外のことは殆ど出てこないので、そこのところも良心的だった。
三国志というと義絶の関羽、奸絶の曹操、智絶の孔明だが、本書は関羽を置いて周瑜を取り上げている。このことで呉という国の性格や見所がはっきりし、また三国全体の見通しや関係性を見渡せるようになった。内容は孫策との友情、若手の孫権を支え続けた良心、内政面で有能だった張昭に比して攻撃的だったことなどが取り上げられている。これら孫呉との関係はそのまま豪族出身の孫家の説明になるし、張昭との比較は赤壁前の降伏派と開戦派のやりとりに絡むことなので小説から一歩踏み出すには良い知識だと思う。
また他の二人も曹操は乱世の肝雄像の発達過程、孔明は武官としてよりは内政での活躍を強調してそれぞれバランスをとっている。曹操の破天荒ぶりは周瑜の良心に対応するものだし、また孔明の信賞必罰、産業振興はそれだけでも従来のイメージを覆すもので面白い。(孔明本ではたまに指摘されていることではあるが)
後半は雰囲気が変わって三国志のバージョン違いの説明。陳寿の三国志、羅貫中の三国志演義とそれを形成する講談や元曲(平話も出てくる)、湖南文山から吉川英治、陳舜臣までの日本における受容史まで網羅している。自分の読んでいる三国志がどの系譜を引いているのかを実感することができる内容だった。
読了日:09月12日 著者:井波 律子
https://bookmeter.com/books/513880
■三国志平話
三国志演義の種本其の二。陳寿の三国志や裴松之の注釈が戦勝国である魏晋の歴史と敗戦国蜀の思想的な鍔迫り合いなら、こちらは庶民が編み上げた娯楽大作。講談の小噺を集成した本だけあって矛盾が多く、演義に比べると叙事詩としての面白さに欠ける…のだが、とにかく娯楽としてよくできている。張飛は督郵を滅多打ちにした上に”身体を六段に分割”し”首と手足をそれぞれ吊る”し、長坂の戦いでは一喝で橋を落とす始末。
荒唐無稽ながら一つ一つの小噺の勢いは確かで、血湧き肉躍る英雄の活躍が語りを通じて場を多いに盛り上げたことは想像に難くない。三兄弟の中でも張飛が抜きん出て庶民に人気があったのも納得できる。(劉備は蜀漢正統説を信じる知識人、関羽は仁義を大切にする商人(山西)
また創作部分も演義とは少し違っていて、貂蝉は呂布の生き別れの妻だったりする。ということは王允の策謀は美人局ではなく妻との再会で、貂蝉も養女ではないから孝行ではなくなる。孫尚香ら女性たちの多くは元代で三国志に取り入れられたというが見識も様々だったのだろう。清代の京劇ではまた違った扱いになるようだがその原点を見ることでできてよかった。(平話は元代)
他にも馬謖が単なる猪突猛進馬鹿になっていたり、官渡は関羽が顔良文醜を斬った話が主になっていて戦略面は大幅に省略されている。と、いうかわかりやすさを重視した修正がなされている。説明的で理屈で理解すべきもの、視聴覚に訴えない退屈な要素は省略したということなのだろう。後の京劇にもいえることだが媒体の特徴が出ていているのが興味深い。
三国志というと何かと正史が重視されがちだが演義がなければこれほど広がらなかっただろうし、平話がなければその演義もなかった。三国志の源流であると共に(正史にはない)劇的な魅力とは何かを思い知らせる一冊。副読本として重要かつ普通に面白いので文庫化してほしいですね……。
読了日:10月22日 著者:二階堂 善弘,中川 諭
https://bookmeter.com/books/497258
■三国志外伝: 民間説話にみる素顔の英雄たち
民話で構成した三国志の小噺集。当然正史とは異なるのだが、かといって演義や平話と似てもいない、独特なつくりのものが多い。関羽は最初の頁から天帝の子と書かれていて、龍の角をへし折ったり大風を吹かせて川の流れを変えてしまったりと大活躍(曹操が嫌味で自分の遺体を感潮河川に埋めたから)。一方で張飛は不具の悪人を引っ掛けたりと頓知を効かせていて、従来の印象とは逆を行く人物造詣がなされている。
女性に関する改変も多い。周瑜に火刑を提案したのは小喬で八卦の陣は黄夫人の教えというのは演義に親しんだ者にはなかなか衝撃的だった。(そもそも孔明の私事が珍しい)また関索と鮑三娘の馴れ初めが関羽との再会前だったり、張飛が関銀屏を溺愛してるというのもキャラ付けがふにゃふにゃしていて良い。
華佗などは盛られすぎて神仙の域に達している。曹操に勘ぐられて酷い目にあった、ということは演義を読めばわかるが、あとで曹操の夢に現れて”頭痛を治すために脳をじゃぶじゃぶと洗う”など誰が想像できよう。彼には他にも不細工な貂蝉を整形するために首ごと挿げ替えていて、于吉や左慈など目ではない個性を放っている。三国志の傍流を知るにはもってこいの一冊。
読了日:10月22日 著者:
https://bookmeter.com/books/1386709
2024年9月の読書メーター
さすらいの麻婆豆腐の感想
題名通りに料理修行をしながら中国を旅し日本で落ち着くまでの話。四川料理で有名な方なので戦時中に難民としてやってきたのか、と思っていたがさにあらず。東から西へと横断し台湾を経由して日本に達している。しかも四川料理専門というわけではなく香港では魚介を捌いて広東料理を身につけており、相当な勉強家でもあったようだ。
「わたしのもっているもの全部教えます。教えたらわたしの頭無になるでしょ。そしたらまた新しい料理考えて頭に入れます。だからわたしの頭いつも新しい。これ、わたしの丈夫な原因よ、本当よ。」という言葉はどうやら本当のようで、だからこそ「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と言えたのだろう。ウソはウソでも騙すためのウソではなく、美味しい料理をつくるための”ウソ”。
そして有名な”ウソ”の言葉にも前があって、「四川料理で有名な雲白肉。これ、冷たい料理で真ん中にキュウリやセロリのうす切りを入れるのは嘘です。でもわたし考えました。野菜の青いのや赤いの食べると人間の体にとてもいいです。だからこれ、いい嘘だと思います。」と具体的な改良点が示されている。真偽の問題と観れば観念的だが要は作る側と食べる側のコミュニケーションが如何に重要なのか、ということ。料理とは食べる人間がいてはじめて成立するということを思い知らされた。
しかし、生まれが1919年ということもあり中国近代史の真っ只中を生きており書かれていないことが相当あることも想像に難くない。冒頭の行程地図にも重慶(1945)、武漢(1946)、南京(1947)、上海(1947)と見知った地名が載っている。重慶云々から七年、南京云々から十年、それに日中戦争や国共内戦が加わり、出国後には文化大革命がはじまる。実際、故郷に残した家族は苦労したそうだ。
なお調理場の昇進は日本と似ていて皿洗い→野菜→点心→餃子→仕込み→乾物戻し→包丁→鍋の順らしい。点心と乾物戻しの工程は日本と違うような記憶があるが実際はどうなのだろう。
読了日:08月27日 著者:陳 建民
父の仕事を継ぐ 自分の味をつくる (岩波ジュニア新書 541)父の仕事を継ぐ 自分の味をつくる (岩波ジュニア新書 541)の感想
”中華料理”の産みの親であり四川飯店の創業者である父陳健民を子陳健一が乗り越えるまでのドキュメント。父に対する複雑な思い、自我の確立、仕事の向き合い方など思春期らしい題材で珍しく岩波”ジュニア”らしい内容だった。調理場での役割分担(階級)を無視していきなり前菜を担当させられたり、”陳健民”の味じゃないと皮肉られたりとそれなりの苦労があったそうな。
恵まれた悩みではあるが、確かにあの閉鎖された空間の濃厚な人間関係の中で過度に優遇すればいじめに発展するだろうし、気を使わせる側も胃が痛くなる思いだったろう。自分も下ごしらえで息をきらせている間に後輩がいきなり前菜や鍋を担当したらいらつくと思う。
ただ、そこは空気が読める人で自分から洗い場に飛び込み、七年かけて鍋を振れる地位にまでつめたらしい。本書でも何度も基礎の重要性を説いたり調理工程(豆腐の湯で加減とか)を事細かに説明していて料理と人に対しては常に誠実であろうとしている。(この辺りの料理への情熱や人との関わりを重視する姿勢は人たらしで研究熱心だった親父さんと似ているね。)
そして自我の確立させたのは料理の鉄人。父のきょうの料理が麻婆豆腐を広めたとすれば、鉄人は料理を娯楽化したと言っていいだろう。この番組に出たことで食材を工夫しオリジナルの料理を生み出す技術を身につけ、また自信もついたのだという。言葉よりも技術と向き合い、自分の職業に自信を持とうとするのが実に料理人らしく興味深い。
しかし、よく食べる。第一章冒頭から「おっ、なんだ! 姉貴なに作ってるんだ?」「酸辣湯でも作ろうかと思って。食べるでしょ?」「へいへーい!」と滅茶苦茶に飛ばす(本書は初版2006年なので酸辣湯は普及していないはず)。そのあとも豆板醤胡を効かせた野菜炒め、麻入り炒飯、きょうの料理を見てつくったイカの塩辛炒め(失敗)、マカロニグラタン、そして麻婆豆腐等々が愛情を込めて語られている。親子揃って食で身体を壊した節があるが、それでも満足していたのではないだろうか。
読了日:08月27日 著者:陳 建一
道教の世界:宇宙の仕組みと不老不死 (「知の再発見」双書)道教の世界:宇宙の仕組みと不老不死 (「知の再発見」双書)の感想
八卦太極図で陰陽の在り方を示してから修真図(人体図)諸々で天体と人体の関連を説明してるあたりに図版の強さを感じる。陰陽五行説くらいは学校で習うけど、天と人の関わりを位置情報を含めて知るかどうかで全然違う。気功の気を身体に流すという発想もこれを見ておくと理解が進む。 養生のための水芝(植物図鑑)や武当山もよかった。
読了日:09月11日 著者:ヴァンサン・ゴーセール,カロリーヌ・ジス
シリーズ道教の世界3 老子神化道教の哲学 道教の哲学シリーズ道教の世界3 老子神化道教の哲学 道教の哲学の感想
老子が道教に取り入れられ神格化された過程を前漢から魏晋南北朝時代までの文献を探りながら解明した本。司馬遷の史記までそれほどでもなかった老子への敬意が後漢の老子銘で一点し不老長寿で天を操る(惑星の軌道を操る)存在になってしまう。実は神仙思想との合流でしかないのだが、これが老子の是以聖人、後其身而身先、外其身而身存への注釈から生まれたというのだから面白い。”無為自然”で生きればよい、と言っているのに、そのように生きれば超人的能力が得られるという教えに転化してしまっている。
老子に親しんだ身としては唖然とする他ないが、このアクロバティックな解釈が後の太平道や五斗米道にも及んだと思うと面白くもある。三国志演義の諸葛亮も読んだんだろうなぁ……。他にも中国を脱した老子が釈迦の師匠になったと書いた老子化胡経(敦煌で発掘!)などの引用が面白い。
読了日:09月11日 著者:菊地 章太
2024年6-7月の読書メーター
■三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)
一巻は虎牢関まで。(偽)妖術を操る張梁とか勧められた熱燗が冷めないうちに首を取って戦場から帰ってくる関羽が熱い。流石は中華軽小説の代表格。
意外なのは袁紹で十常侍を皆殺しにしろと可進に渇を入れている。世間では家柄だけの人のような扱いだから感心した。曹操や孫権に比べると華がないけど、職権の範囲内ではうまくやりくりできる人だったのかな。良くも悪くも中間管理職向きだったのかもしれない。最後はあれだし……。張飛もこの頃は真面目に黄巾党と戦っていてアル中ではない(裏で飲んでいたのかもしれないが)
なお元になった三国志、というか三国志演技にすら母はいないらしい。そもそも喫茶の習慣があったかどうかもわからないとか。まぁ後漢の記録を蜀(劉禅)と晋に仕えた人が記録して、さらに明になってから娯楽化されたものが昭和の日本で小説家されたのだから実際がどうこう考えてもしょうがないのだが。大雑把に測っても隋唐宋元明清大日本帝国の距離があるし、むしろそれだけの時代を超えて解釈しなおされているのがすごい。捻って大日本帝国の儒教的表現と考えれば面白い……のか?
読了日:07月14日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/566606
■三国志 (2) (吉川英治歴史時代文庫 34)
美人計成立まで。切ったばかりの首を食卓に上げる呂布といい三日三晩燃え続ける董卓といい、この二人は残酷さに事欠かない。あと太史慈周りの少年漫画っぽいやりとりがいい。三国志は何かと裏切って仲間になる場面を見せ場にするけど、そこに感動するのは洋の東西を問わないのだな。
読了日:07月16日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/566607
■三国志(3)(吉川英治歴史時代文庫 35)
覇陵橋の別れまで。関羽を溺愛する曹操に射抜かれた目玉を勿体無いと口にする夏侯惇、あげく劉備を兎耳児と罵る呂布と登場人物の濃度に事か欠かない。雷怯子で雷に怯える劉備は度胸の強弱と知性、仁徳の有無を別けた演出で面白い。張飛なら平気だったろうが、代わりに曹操に早々と攻められていたろう。
目玉はやや誇張的な人物描写、なのだけれど自分としては優柔不断でできの悪い人に共感してしまう。劉備の人の良さもわかるし、それを真に受けて共に戦おうとする呂布の気持ちも理解できる。そして逆に軍師のすすめで裏切りを重ねてしまう意志の弱さも。複雑な状況下で適切な選択を下す難しさが表われているように思う。
読了日:07月20日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/566608
■三国志(4)(吉川英治歴史時代文庫 36)
天下三分の計まで。孔明、徐庶と軍師の割合が多く三顧の礼はもちろん、八門金鎖もこの巻。于吉はちょっと違うかもしれないが孫策が呪い殺されるのもここ。官渡で袁紹と曹操が互いに兵器でじゃんけんしてるのが面白かった。即席要塞から弓を射たかと思えば片方が霹靂車から岩を投げ、そうすれば片方は穴を掘り……と様子はまるでマルヌ会戦。膠着状態の戦場もなかなかいいな。
読了日:07月20日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/563848
■三国志(5)(吉川英治歴史時代文庫 37)
周瑜憤死まで。赤壁もとい連環の計に苦肉の策、寝たふり孔明の偽書計等々が揃っている。世に出回っている三国志の基本的なイメージは大方この一冊に詰まっている。が、重要なのはそこではない。注目すべきは孔明の性格の悪さ。呉に魏との開戦を急かすために孫権には”降伏してみれば?”と煽り、周瑜には”嫁の小喬と姉の大喬(孫策の未亡人)を曹操が狙ってるよ?”と嘲笑う。
人身掌握術と言えば聞こえはいいが、何のことはない人の尊厳を弄んでいるのである。というか、この手口は荊州返す返す詐欺でも使っているから孔明の常套手段なのだろう。三国志は問題のある人が多いが孔明も大概である。周瑜は孔明を一目見て殺意を抱き二度も三度も計略を立てるが、これは先見の明と考えても良いのではないだろうか。(彼の執念も異常ではあるが)。
赤壁の他にも長坂での阿斗救出劇や血気盛んな呉の孫尚香と劉備との結婚など見せ場の多い巻だった。家や国を捨て男に嫁入りする男勝りな女の子はどこの国でも人気ですね。(たぶん宋代の脚色)
読了日:08月01日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/555164
■三国志(6)(吉川英治歴史時代文庫 38)
荊州返す返す詐欺。孔明劉備関羽の魯粛たらい回しがほんとうに酷い。やっと建国した蜀だが殆ど詐欺集団で、とても義の国とは言えない。明からすれば後漢の流れを汲んでいればその辺の理屈はどうでもいいのだろうか。龐統による益州強奪(の正当化)も同時期で、この巻は蜀の悪辣な面が良く出ている。むしろ治安維持に奔走し家臣と競う曹操が誠実に見える。
読了日:08月13日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/555165
■三国志(7)(吉川英治歴史時代文庫 39)
出師の表まで。桃園結義の面子はすべて死に絶えて曹操も病死、ということで物語としては終盤なのだけれど、そのせいか思想的な側面がよく表われてもいる。関羽に祟られる呂蒙、魏皇に即位しようとして呪われる曹操、明代に持ち上げられていた人が超能力を発揮し、呪われるべき人が呪われる。実際は劉備も孫権も皇帝に即位しているのに曹操だけが悪辣に描かれるあたりは察するべきものがあるし、曹操をたしなめる荀彧との関係にすべてが集約されていると言える。
あと南征が浮いている。関羽張飛と兄弟が相次いで亡くなり劉備も復讐戦の途中で病没し、曹操もいないというのにいきなり陽気な蛮族討伐(しかも六度も首領を逃がす)。孟獲の話が出るたびに「いつ出てきたっけ……?」となるのだけれど、物語展開の不自然さに原因があると思う。ただ戦略としては北伐の前に南の守りを固めて補給も確保したい、という意義があるので史実には忠実らしい。歴史小説の匙加減は難しい。
読了日:08月13日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/563849
■三国志(8)(吉川英治歴史時代文庫 40)
死せる孔明生ける仲達を走らす。あと戦車とか出てくる。
読了日:08月13日 著者:吉川 英治
https://bookmeter.com/books/563850
■三国志「その後」の真実 知られざる孔明没後の後伝 (SB新書)
三国志のその後、というよりは九品中正発達史という趣の本で制度史的な色が濃い。前半は曹操、孫権、諸葛亮といったお馴染みの面子がそれぞれの土地で名士とどのような関係があったか、また支持を取り付けるためにどのように行動したかを解説し、後半でそういった人治主義(とそれを支える制度)からどう舵を切っていったか、特に儒教との関係を探る構成をとっている。
読了日:08月16日 著者:渡邉 義浩,仙石 知子
https://bookmeter.com/books/11537149
■三国志: 演義から正史、そして史実へ (中公新書 2099)
史実と正史(三国志及び晋書等の関係本を含む)と三国志演義(改作を含む)を比較検討し後漢以降の制度や思想の発達を概観する、という本。三国志の版本違いの解明ではなく魏呉蜀晋の歴史的表象の分析が主になっている。(なので三国志の名場面紹介というものは皆無)
魏編では近代では悪役とされる曹操がなぜ悪役とされてきたのかを五胡十六国を経て盛り上がった蜀漢正統説を軸に説明。さらに実際に曹操が反漢的な考えをもっていたこと、だから黄巾党(青州兵)と一部利害が一致しており協力関係があったことなどが示されている。思想的には黄巾は道教の流れを汲んでおり、文学(文治?)による統治を目指していた曹操とは反儒教という点でも一致していた。
呉は孫策孫権と名士の関係が主題で、小勢力だった孫権が名士である周瑜に引き上げられて名声を得たことや実際の天下三分の計は魯粛によって計画されたことが示されている。三国志では周瑜も魯粛も諸葛亮の”かませ”になっているが、そういった誇張が神格化や蜀漢正統説の煽りと考えるとけっこう面白い。(章も道化とされた男たちと題されている)
蜀漢の項ではそもそも何故、史書に蜀”漢”と明記されたのかを元劉禅配下だった羅貫中と蜀の距離を考察。他にも関羽を象徴する仁義を概念から解説したり彼を神格化した山西商人(高校世界史!)との関わり、諸葛亮の赤壁で使った呪術のルーツである道教、馬謖の地盤沈下(作戦の失敗ではなく益州への見せしめで斬られたらしい)
晋は反漢反儒だった魏が司馬氏の下でどのように儒教に方向転換したか、また九品中正の改正(郷挙里選との比較とかもある)等々。しかし、面白いのに構成がはちゃめちゃでわかりにくい。新書だから、といえばそうなのだけれど、それにしては内容が硬いし、かといって学術書としては中途半端だし・・・…強いて言えば随筆だろうか。妙な本だった。
読了日:08月18日 著者:渡邉 義浩
https://bookmeter.com/books/2993098
■三国志が好き! (岩波ジュニアスタートブックス)
中公新書の三国志 演義から正史、そして史実へ と構成も内容もほとんど同じで何だかなぁ、となった。版違いで話をはじめる構成も均田制や九品中正、劉備が諸葛亮に下した乱命も内容が同じ。相手が中学生であろうと容赦していない、と取ってもいいが、それにしては噛み応えがありすぎる気もする。(中学ではどの程度まで制度史を習うのだろう)
読了日:08月27日 著者:渡邉 義浩
https://bookmeter.com/books/20982361
■関羽: 神になった「三国志」の英雄 (筑摩選書 26)
関羽を山西商人による伝道と講談や関羽廟による表現(メディア史)から検討した本。捕らえられた関羽が曹操に恩を返した上で劉備の下へ帰ったことや赤壁のあとで曹操を見逃した美談は有名なので、商人に崇拝されること自体に不思議はない。のだけれど、その後の神格の変化がややこしい。例えば唐代には天台宗に取り入れられ脇侍の地位にあったかと思えば 明代の道教では伏魔大帝として崇められる。清では国家規模で祀られるがそこでは軍神として。そこに階級や宗派の断絶はない。
正史、というか演技を読めば明らかなように、元々関羽は位が高いわけでも武勇に優れているわけでもない。それが混沌とするほど広く影響力をもっているのは山西商人を発端とし三国志演義によって加速した神格化の影響なのだろう。本書では宋代の講談、元の元曲(高校世界史!)、そして明代初期に流行した三国志平話、演義の影響関係を示すことで虚構が宗派や階級を飛び越える様を活写している。
清代で絶頂期を迎えたあともじわじわと信仰は続き白蓮教に取り入れられたこともあったらしい。日本にも散在する関帝廟や中国料理屋の関羽像を見ればわかるように今も信仰は続いている。信仰の起源、発達を叙事的に辿った良い作品だった。(渡邊氏の本らしく相変わらずとっちらかっている感は否めないが)
読了日:08月27日 著者:渡邉 義浩
https://bookmeter.com/books/4165043
2024年5月の読書メーター
■亜人ちゃんは語りたい(11) (ヤングマガジンKC)
最終巻は「普通」の青春漫画、だけど健常者にとっての日常が亜人にとってどれだけ普通ではないか、を示す作品だからこの着地は味わい深い。バンパイアのカップ麺(擬血)をすする音がギャグとして通用したり、サキュバスが人に手を触れる仕草を恋愛として解釈できるのは対応する問題(描写)が十巻までで解決したからこそ。もう種差別や誘惑に苦悩する必要はないのだ。主題に沿った素晴らしい結末だった。
観測問題を引っ張ってSFにしてしまう手もあっただろうし、それを望んで「平凡」「ネタ切れ」と切って捨てる読者もいるだろう。しかし、派手に物語を展開させずに日常生活への回帰=福祉に重点をおいた結末にしたのは正解だった。観測問題、量子論を主題に据えた作品は他にいくらでもあるのだから、派手に世界を膨らませる必要はなかったのだ。
読了日:05月09日 著者:ペトス
https://bookmeter.com/books/20678672
■映画史を学ぶ クリティカル・ワーズ【新装増補版】
相変わらず西村安弘と岡村民夫のバイアスかかりすぎの説明が酷いが、40年代と70年代を研究する人はこの手のが多いから業界の現実が露わになっている点も評価すべきかもしれない。求められているのは言葉の意味であってアジ演説ではないですよ?
ただ各年代必見30は役に立つ。詩的リアリズム→巴里の屋根の下、ヌーヴェルヴァーグ→気狂いピエロ、メディアコングロマリット→バットマンリターンズ等、それぞれ用語と連動していて本書と映画を観れば(映画史的な)価値がわかるようになっている。”有名な作品を観たけど何故かわからない、といった人はこれを読めばある程度理由がわかるのではないか。
読了日:05月18日 著者:村山匡一郎,奥村賢,西村安弘,濱口幸一,岡村民夫,石原陽一郎,渡邉大輔
https://bookmeter.com/books/6991514
■映画理論講義: 映像の理解と探究のために
映画理論というよりポストモダン入門の書。バザンからエイゼン、ヴェルトフといった批評家を片っ端から批判して、外堀を埋めつつ映画理論を再検討。ある程度は映画史を齧っていることを前提に書かれているから初心者向きではない。あとざっくりとした理論の紹介から猛批判をしてしまうからそうはならんやろ、というのがいくつもあって読むのが辛かった。特にバザンに対しては厳しすぎる。
読了日:06月03日 著者:J.オーモン,A.ベルガラ,M.マリー,M.ヴェルネ
https://bookmeter.com/books/83775
■火の鳥 No.4 鳳凰編
飛鳥に続いて平安時代、というか鎮護国家批判。国分寺も東大寺も大仏も公共事業だから全部悪!政治利用された仏が泣いてる!!という原始仏教原理主義+近代史観が全体に漂っていて気味が悪い。その意味で我王が掘った石窟仏よりも仰角気味の"人を見下ろすような大仏"の方が面白かった。大仏建立詔が登場しないとか、そもそも聖武天皇が出てこないとか歴史的には穴だらけだけど、今はむしろそういうカルトっぽいところに価値がある気がする
読了日:05月24日 著者:手塚 治虫
https://bookmeter.com/books/549419