2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

七月二週目、てーたいむとか

 友達からもらったマーマレードジャムをクラッカーに載せて、白山陶器のデミタスカップと共に。砂糖が少ないせいか酸味がきつめのジャムだった。クラッカーの塩味と合わせるとうまい。

 カップ白山陶器のデミタス。身体が小さいせいか少量の茶葉と小さめのカップだけで十分酔えてしまう。こういう時だけは得なんだよな。

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 あと大学を卒業して以来、久しぶりにミルの自由論を読んでいる。 

 

 人の話を聞こう、どんなに偏った意見であっても無視するよりは益があるはず、どんな思想も研磨されることで磨きがかかる、そして何より人に干渉しすぎないでおこう。人の自由を拘束するのはもっての他だし、何より人に嫌われる。あと、酒は呑み過ぎないように。人に迷惑をかけると逮捕されるよ。(人に嫌われる、と本当に書いてある)

 まぁ、こんな内容で要約すると「常識の羅列じゃん……。」とも思うのだが、これを守るのが以外に難しい。「人の話を聞く」ことはできても、「『嫌いな人』の話を聞く」ことができないのが人間というものだ。「聞く価値のない話」だって、それはレッテルを貼った上でのことで、別な人から見れば異なる。「価値」とはあくまで自分や一つの分野が定めるものであって、分野が違えば基準も変わる。分類したり空間として捉えるだけでまるで領域が変わってしまう。ソクラテスではないが無知の知に近いものがあるのだ。ただ、確かに「もうすでに知っている程度の低い話」もあるわけで、その境界線をどこに引くべきか、という問題もある。いつまでも解釈の多様性にかまけていては問題は解決しない。価値判断は確かに必要ではある。(いやまぁ、自由論はそういう話ではないのだけれど、意見が多いだけ多い方が良い、とは確かに書いている。どんなに異端であっても今の時点で通用している意見と比べて論拠を疑え、とも)

 あとすごいのは、この多様性の問題を私的領域と結びつけて自由の問題に話を移しているところ。人の意見を尊重し、きちんと耳を傾けよ。意見が中傷でない限り、それを尊重せよ。これは「酒を呑むこと自体に問題はないが、他人を傷つけることは論外」とあまり変わらない。私的な領域では他者に危害を加えない限りは何をしてもいい。公的領域の人間も公共に害のない限りは手を出してはならない。(啓蒙するのはあり、とは言っている)。

 危害原理という言葉もない時代にこれだけ明確に、しかも横道にそれず簡素に理屈を積み上げていく様には圧倒される。ベンタムの流れを汲んでいるとはいえ、どうやればこうも見事に骨格だけを抜き取ることができたのだろう。ダイヤの原石のような、そんなすごみがある。(方法序説もそんなところがありますよね) 


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 そうそう、先週の演奏会がきっかけで協奏曲にはまっただった。いつもCDを買いながら「協奏曲のカップリングなんて聴かないしなー」とあんまりいい思いはしていなかったのだけれど、これがそのまま宝物になった。シューマンプロコフィエフもラフマニコフもグリークもシベリウスも伊福部も早坂もみんないい。(ブラームスとチャイコは苦手だけど……あの拍子で二十分以上はきつい)

 思いつくままに書いたら思いつくままになったな。最近はそんな感じ。