2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

インデペンデンス・デイ [Blu-ray]

 

 

 

 ニューヨーク、ロサンゼルス、そしてワシントンに出現した巨大円盤と米国の戦い。
 円盤の巨大感、細々としたディテールがが強烈な印象を残す作品。月面を覆い尽くすように現れる巨大な影、ニューヨークを包囲するように落ちる巨大な燃える雲、炎上するホワイトハウスと大きすぎて魚眼レンズを通して観たような錯覚を起こさせる巨大円盤。影や雲といった実際の気象現象を引用することで予備的なスケール感を表し、とどめに無数の構造物や突起、光源に覆われた円盤そのものをアメリカの広大な情景と合成し、比較させることで、ひとつの都市、ひとつの国の終わりを見事に表している。(スクリーンに投影可能な情報量の都合から考えて、この作品はTVで見る意味はない)
 大統領率いる縦列応対のF-18が離合集散し小型UFOと空戦を繰り広げる光景や生き残った人々がキャンピングカーでバッファローの群れの如く移動する様子も理屈抜きに美しい。
 ワシントンとホワイトハウスの炎上が世界の終末を予感させ、黒人パイロットがエイリアンを捕獲し、大統領自らF-18に乗り込み戦列に参加し空戦に参加し、アメリカと地球の勝利を宣言するという物語の流れも(ややパクス・アメリカーナを臭わせはするが)90年代の終末論的な雰囲気をひっくり返すような豪快さがあって面白い。

六月の本とか映画とかの感想文

 

  宗教国家化する連邦と、その信念に基づき血みどろになりながら昆虫型宇宙生物と戦う兵士の物語。

 初代の監督を務めたバーホーベンが製作総指揮へ復帰、彼のロボコップ以降の脚本を執筆し続けてきたエド・ニューマイヤーが監督、脚本を執筆したことで2で失われたグロテスクな表現と風刺が作品に盛り込まれている。虫の一振りによって吹き飛ぶ手足、串刺しにされる頭部、爆風で吹き飛んだスコップに胸部を貫かれる兵隊たち。SFという誇張された表現が許される媒体でこそ可能な悲惨な光景が次々と展開されている。
 第一作の戦争を煽り立てるマスコミと戦場のグロテスクな光景のチグハグ感を利用し、逆説的に反戦を訴えていた構図を利用して侵略SFを宗教戦争に読み替えているのも面白い。家族や戦友といった20世紀型の動機付けは彼らの死によって断たれるが、神の御加護は当人が死んでも続く。普遍的存在ほど組織をまとめるのに的確なものはない。(同様にP爆弾投下等の残虐行為を正当化する理由にもなる)。それらを証明するかのようにマローダーが死の天使の位置について空から降り立ったり、聖衣を羽織ってCMに登場する様子は宇宙時代の十字軍といった風で強烈な印象が残った。
 予算の都合から映像に粗はあるが、風刺や戦争映画からの引用を巧みに操って魅力的な作品に仕上がっている。

 

 

  ニューヨーク、ロサンゼルス、そしてワシントンに出現した巨大円盤と米国の戦い。
 円盤の巨大感、細々としたディテールがが強烈な印象を残す作品。月面を覆い尽くすように現れる巨大な影、ニューヨークを包囲するように落ちる巨大な燃える雲、炎上するホワイトハウスと大きすぎて魚眼レンズを通して観たような錯覚を起こさせる巨大円盤。影や雲といった実際の気象現象を引用することで予備的なスケール感を表し、とどめに無数の構造物や突起、光源に覆われた円盤そのものをアメリカの広大な情景と合成し、比較させることで、ひとつの都市、ひとつの国の終わりを見事に表している。(スクリーンに投影可能な情報量の都合から考えて、この作品はTVで見る意味はない)
 大統領率いる縦列応対のF-18が離合集散し小型UFOと空戦を繰り広げる光景や生き残った人々がキャンピングカーでバッファローの群れの如く移動する様子も理屈抜きに美しい。
 ワシントンとホワイトハウスの炎上が世界の終末を予感させ、黒人パイロットがエイリアンを捕獲し、大統領自らF-18に乗り込み戦列に参加し空戦に参加し、アメリカと地球の勝利を宣言するという物語の流れも(ややパクス・アメリカーナを臭わせはするが)90年代の終末論的な雰囲気をひっくり返すような豪快さがあって面白い。

 

  ロサンゼルスを占領したエイリアンと米軍の戦い。
 湾岸、イラク戦争のフレームで地球侵略を描いた作品でCNNによる世界的規模の侵略報道(スマトラ島イラク戦争の報道映像が引用されている)にはじまり、ロスの複雑な路地や避難民によって置き去られた車に隠れ、ゲリラ的に銃撃を浴びせるエイリアン、砂嵐に視界を奪われ半狂乱で抵抗する兵士たちの姿が印象深い。
 テロとの戦いをただ宇宙人との戦いに置き換えただけか、といえばそう単純ではなくて、帰途に使っていた巨大なハイウェイが寸断され待ち伏せ場所として利用されていたり、敵機をガソリンスタンドに誘導してスタンドもろとも爆破するなどアメリカの情景を巧みに小道具に転用している。
 物語はロスから一度撤退した米軍が民間人を救出するために敵地へ潜入、メキシコ系移民との触れ合いや戦友の死とそれを理解していながら命令を出さねばならない上官の苦悩を通して成長するという、プライベートライアンと宇宙の戦士を組み合わせたようなものになっている。語られている理念もベトナム戦争以前の米軍尊崇の気配があり、ハインラインの宇宙の戦士を髣髴とさせる(この意味でスターシップ・トゥルーパーズよりも原作に近いと思う)
 ベトナム戦争以来、ベトコンの比喩的表現として地球外生命体を描き続けてきたアメリカ映画にしてはストレートで迫力のある映画だった。

 

バトルシップ [Blu-ray]

バトルシップ [Blu-ray]

 

  ロシア海軍初参加を歓迎するようにリムパックに降り立った宇宙生物と日米駆逐艦隊の戦い。
 ニートから脱出して海軍士官になったダメ男が将軍の娘を嫁にもらうために奔走する、という艦隊戦とは何の関係もない脚本が主題といえば主題なのだが、この内容のなさが作品の映像美へと誘う効果を生んでいるのが面白い。(マイケル・ベイのような中途半端な思想信条は皆無)
パンジャンドラムを彷彿とさせる)回転兵器に踏み潰される横二列に並んだヘリ、橋桁をドミノのように倒され崩落する高速道路、宇宙船からMLRS風に放たれる無数の地雷、迎撃する数千発のCIWSの弾丸、撃ち漏らした地雷によって膨らみ弾ける護衛艦、真っ二つに避け沈んでいく駆逐艦、戦艦ミズーリから放たれる40cm砲の爆炎と衝撃波で凹む海面。舞台がハワイであることもあって、真っ青な空のもと、海岸にグラデーションをかけるように広がる爆炎のオレンジや飛翔する無数の弾丸の痕跡、燃える艦艇からはじける火花は非常に美しかった。
 リムパックで細々とした波を立たせて進む日米駆逐艦、モーゼのように波を割りながら進む戦艦ミズーリ、四足歩行で海を叩きながら歩く宇宙船と航跡もきちんと(美しく)描き分けられているのもよかった。
 この作品には意味はない。劇中には吊り橋効果的な恋愛描写は存在しない。かといって、まじめにリムパックというお祭りの意味を問う作品でもない。ダメ男と彼に引っかかった娘の日常感の延長で、”偶然”リムパックの期間を共に過ごすことになった日米の将官が武器を手に取り決め台詞やジョーク、そして弾丸を飛ばしまくる単純な映画だ。だが、そのシンプルな脚本が最高の視覚体験を与えてくれる絶妙な作品でもある。

 

ワーグナー ニーベルングの指環〈上〉序夜『ラインの黄金』・第1日『ヴァルキューレ』 (オペラ対訳ライブラリー)

ワーグナー ニーベルングの指環〈上〉序夜『ラインの黄金』・第1日『ヴァルキューレ』 (オペラ対訳ライブラリー)

 

   エッダとニーベルンゲンの歌を元にした舞台祝祭劇の対訳本。ラインの黄金はヴォータンと巨人の間に起こった神々の住処の賃金未払い騒動が種になっている。原作ではトールによって巨人が打倒され物語は終わるが、本作ではギリシャ悲劇を思わせる悲劇の連鎖となっているのが面白い。借金前借りで自分の城を建てるヴォータン、取立てに来た巨人を殴り殺そうとするドンナー(トール)、ラインの乙女に失恋し、慰めに彼女から奪った黄金でつくった指輪をさらにヴォータンの借金返済のために奪い取ら世界を呪うアルベリヒ、ヴォータンから借金代わりに渡された指輪に呪い殺される巨人族、最初から最後まで嘆き悲しみ唄うラインの乙女たち。全体を包み込むようにちりばめられた悲劇が心を打つ。また、悲劇は小人と巨人だけにとどまらず、ヴォータンも巻き込んだ指輪の奪い合いへと発展して神々の分裂を招き、黄金自体は第二夜のジークフリート、ギービヒ家によって拾われ神々の黄昏へとつながっていくのだが、このスケール感も中々のもの

 ヴァルキューレはヴォータンの末裔ジークムントとジークリンデの兄妹駆落の物語でウォルスング家の物語が元。原作は二人の悲哀の物語だが、本作では彼らの父であり剣ノートゥングを与え支援したヴォータンと近親相姦と不倫を許さずヴォルフング家を用いて抹殺しようとするフリッカの対立が重ねあわせられ重層感が増している。賃金騒動の件で孤立を深めたヴォータンが最終的に彼らを見捨てる場面が何とも哀しい。彼を庇って炎に包まれた岩山に閉じ込められたブリュンヒルデは一見神々しいが、これもジークムントの悲劇と同じくジークフリート、神々の黄昏の伏線であり、これまた陰鬱。浪漫と悲劇のバランスが絶妙な一遍だ。

 

六月の読書やら鑑賞やら - 2013/06/01-

2016年上半期色々ベスト10

 

 

RAN 乱

RAN 乱

 

 五月の読書鑑賞五選

 

ハムレット・シンドローム (ガガガ文庫)
 

 五月の読書鑑賞五選

 

カティンの森 [DVD]

カティンの森 [DVD]

 

 一月の鑑賞読書五選

 

大理石の男 [DVD]

大理石の男 [DVD]

 

 一月の鑑賞読書五選

 

 二月の鑑賞読書五選

 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

 二月の鑑賞読書五選

 

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

 

 二月の鑑賞読書五選

 

 四月の読書鑑賞五選

 

 

六月の本とか映画とかの感想文

 

 

インデペンデンス・デイ [Blu-ray]

五月の読書鑑賞五選

 

RAN 乱

RAN 乱

 

 親子の情に滅んだ一家の物語。早すぎる家督相続に心躍らせ父親から部下を剥ぎ取り、挙句の果てに城内から追い出す長男、頭領の座を狙って長男を射殺す次男、彼らを身体で誘惑し扇動する妻、一家離散の隙を突いて城を焼き払おうとする隣国綾部。ドミノ倒しのように次々とつながっていく悲劇が観るものを圧倒する。
 大筋はリア王だが、悲劇の起源を家督相続それ自体ではなく主人公の悪逆非道に求めている点で大きく異る。シェイクスピアの作品が追放されるリア王と同情したグロスター伯の抉眼というふたつの一家の破滅によって親子の情のあり方を問うたのに対して、黒澤は滅ぼされた前城主の娘楓の扇動と一文字家崩壊、抉眼によって光を失った鶴丸の遡及と秀虎発狂を描くことで封建時代の戦争を連続体的に描いている。(一次大戦を忘れられず二次大戦に突入したドイツを髣髴とさせる)赤に代表される一郎方の騎兵と三郎方の鉄砲隊が大海の渦のように平原をうねり、藁のように人が倒れていく光景は親子の情の儚さを印象づけると同時に、封建時代の怨念の恐ろしさをつきつけてくる。
 お家騒動という場所移動の必要のない題材であること(三一致原則も維持)、リア王を下敷きとしていることからもわかるとおり、本作は舞台でも上演可能だ。そんな筋が映画的なものとして完成できているのは、やはりスケールの大きさだろう。城郭で交わされる父子の行列の優先順位をめぐる縄張り争いと国の象徴たる馬印の奪い合い、父秀虎追放の時に永遠の別れを宣告するように音を立てて締まる城門、逃げ延びた先で又しても我が子の手により焼きつくされる天守閣、放浪中に頭首時代の悪行を攻め立てる巨大な城跡。超望遠による圧縮効果、フルショットとロングショットを多用しクローズアップを排除することで作品のスケールを途方もない規模へと広げている。(作中の衣装のきめ細かさや甲冑の微妙な反射光、蠢く騎兵隊など、画面の構図と精密感が非常に洗練されている。50インチ以下の画面での鑑賞は意味がないと思われる)
 そういった作風に負けないくらいに狂気に満ちた演技を魅せる仲代達矢も素晴らしい。老後の安楽を語る時の微笑み、三郎の無礼を叱る時の鬼のような形相、追放され現実と空想の区別がつかなくなり花を積む時の呆けた表情、城郭を見て過去の罪を思い出した場面の苦悩に満ちた表情。脚本上の鬱陶しい爺が仲代の演技によって喜怒哀楽すべてを兼ね備えた人間になっていく過程は圧巻だ。

 

THRONE OF BLOOD

THRONE OF BLOOD

 

  権力欲に溺れ滅んだマクベス夫婦の物語。
 のちに黒澤が映画化することになるリア王と同じ下克上を題材とした作品だが、映画化した「乱」よりも心理描写に重点を置いている。予言の通りに戦友を裏切り、天下をとれと”すり足”の音高々に鬼の形相で迫る妻浅茅、その妻に言葉巧みに騙され、主君を刺殺し戦友を部下に殺めさせる武時。両手の血を洗い流す間もなく、息を弾ませ後悔する彼の人間臭さ、弱さは同情を誘うものがある。
 また「乱」同様に舞台劇の映画化だが巧みなカメラワークで退屈をほとんど感じさせない。流産の報を受け走る鷲巣を押さえる真正面の固定カメラ、宴席で一瞬だけ捉えられた亡霊となった白塗りの三木と武時のツーショット。(武時にだけ見えている事が明確に伝わる名場面だ)。霧に囲まれた蜘蛛巣城と迫る森というシチュエーションも武時の臆病な内面を表しているようで面白かった。
 シェイクスピアの筋を忠実に守りつつ、現代的なサイコサスペンスとしても鑑賞可能にした傑作。

 

ハムレット・シンドローム (ガガガ文庫)

ハムレット・シンドローム (ガガガ文庫)

 

  ハムレットメタフィクション久生十蘭)のメタフィクション福田恆存)のメタフィクション樺山三英)。あくまで第三者視点から現実でハムレットを演じる役者/病人を描いていた久生の作品に、福田のハムレット解釈(メタな視点を持った確信犯的な人物)を加えて主観性を獲得している。ハムはグローブ座に熱中するあまり現実を見失い、オフィーリア演じる少女は主人公に失恋して入水し、ギルデンスターンはストッパードに与えられた運命に怯える。

 すべてをメタに捉える登場人物から観た劇/現実には、もはやハムレット/刺客/ハムレット/役者/自分の区別はなく、ただ演技する主体だけが残っている。読者の目をも盗み、現実感を震わせるような物語構造、語りが魅力的な作品だった。

p.92,107,122,127,140,168,175,180,182,144

 

 

怪奇探偵小説傑作選〈3〉久生十蘭集―ハムレット (ちくま文庫)

怪奇探偵小説傑作選〈3〉久生十蘭集―ハムレット (ちくま文庫)

 

 

ハムレット、刺客のみ再読。頭を打って現実と劇的空間の区別がつかなくなった富豪の物語、自覚的に劇中劇(?)を演じている人々が印象的だった。断崖に建てられた真四角の屋敷の中で独り語り続けるハムレット、17世紀で止まった彼の時間にあわせてテニスや鷹狩に興じる使用人たち、城外(現実)からレイアーティースを送り込み、劇を終わらせようとする坂井ことクローディアス、役者に惨殺されるハムレット(刺客)と劇的なる死を求めるハムレットハムレット)。
 メタフィクションのような設定なのに劇的空間を受け入れ、現実と劇を行き来する様子が読者を嘲笑っているようで面白い。

p.461,454,456,474,426

 

 

膚の下(上)

膚の下(上)

 

  人造人間の自己形成の物語。兵隊としてつくられたアンドロイドが人間や機械と対話、衝突しながら自我に目覚めていく様子が面白い。機械であるが故に訓練施設で受けた差別、銃撃戦後の「人間の戦死者が出ている中で人造人間は何故死ななかったのか」という遺族からの理不尽な問い、銃撃戦で感じた”恐怖”。逆に人間以上に人間らしく振る舞い「罪は背負うしかない」と説く機械人。
 どちらが人間的なのかを混乱させるような経験を通し、それらを適当にあしらう方法を学び、さらに機械としての自覚を持って受けた傷を「アンドロイドとしての誇り」だと語るまでに成長する過程は実に刺激的だ
 簡単に他人を蹴落とす人間の非情さを乗り越え、創造主のために人類が捨て去った星で再開発に励む孤独な姿、文盲の子どもに文字を教え、惑星改造完了後に遺書として私の日記を読めと諭す場面は人間には真似できない美しさがある。ディックの「思いやりのある機械と非常な人間の境界はどこか」という問いに対するひとつの回答としても読めるのではないだろうか。
p.92,103,141,171,223,287,378,383,411,430

四月の読書鑑賞五選

 

  X-MEN結成秘話。能力によって社会に虐げられてきた人々、あるいはコンプレックスとして捉えていた能力者たちが組織を立ち上げるまでが描かれている。
 肌の色に対する差別を恐れミュータントとしての誇りと人類への憧れの間で揺れ動くミスティーク、四足であることをコンプレックスと捉えDNAをいじることで人間になろうとして墜落してしまうビースト。
 X-MENのシリーズ中では最も因縁が深く、かつ本作では世界史と作品を重ねあわせる役割を果たしているマグニートは一際輝いている。肉親を目の前で惨殺され、左胸にダビデの星、腕に整理番号を刻印されたポーランド強制収容所時代、羽ばたく鷲が刻まれた金塊を胸に抱いて南米へと逃走図ったナチ残党を狩りにでかけた戦後。彼のナチハンターとしての執念が1945年に終わったはずの悪夢とキューバ危機を結びつけ、さらにX-MEN結成へとつながっていく過程は圧巻。
 ナチハンターとして、またX-MENの一員としての活躍が人類による迫害の要因となりマグニートが敵対していたはずの優生思想に染まっていく様子も皮肉が効いていて面白かった。

 

 

  アメリカ史を乗り越えてきたある狼の物語。
 ファースト・ジェネレーションがナチスドイツによるユダヤ人迫害からはじまったX-MENの物語なら、こちらはアメリカ合衆国によって戦われてきた一連の戦争、人体実験を俯瞰する作品だといえるだろう。ローガンが体験するはじめての戦争は南北戦争、のちに二度の欧州大戦へも出征し、あるときは立ちはだかるドイツ帝国に向けてフランスの平原へと突撃し、あるときはノルマンディオマハ・ビーチの崖を駆け上がりドイツ人を投げ落とす。アメリカ史とウルヴァリンの関連が示されている冒頭数分はファースト・ジェネレーションに登場したキューバ危機同様の衝撃を与えてくれる。
 ベトナム戦争という負の歴史が物語のキーとなっているのも興味深い。(あくまでアメリカの視点のはなしになるが)正義の戦争だった二度の世界大戦とは雰囲気から異なる。それまで国家の兵士として描かれていたローガンのチームもヘリから民間人に向けて機関銃を無差別に撃ちまくり、あげくの果てには尋問のための虐殺、強姦未遂と罪を重ねていく。戦争が終わっても、本国で木こりとして働くローガンのもとにはベトナム戦争時代の元上官が現れ、色仕掛けで彼を騙して生体実験を施してしまう。東南アジアの前線へと放り込み、戦後の保証を怠っているという点ではランボーを髣髴とさせるし、かつての戦友とお礼参りを果たす場所がスリーマイル島というのも皮肉がきいている。
 X-MENの中ではいまいち地味でか弱い存在をアメリカ史の一員として描くことでドラマチックに浮き立たせた名作。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

  不法人造移民追跡記。機械諸々は人間に使役されるべく生まれたと信じる主人公リックがアンドロイドを追跡していくうちに段々と信念を見失っていく様子が興味深い。人を感動させるだけの力のあるアンドロイドの歌姫、精神的にもつながり合うことのできるセクサロイド、そういった温かみのある機械人形に対してアンドロイドを撃ち殺すことに戸惑いのない懸賞金稼ぎ。敵であるはずのアンドロイドと性行為に及んで双方が目的を忘れかける様子はこの作品がSFであることを忘れさせてくれた。

 結局、主人公は狩りを続けてしまうのだが、その行動が愛や人情よりもカテゴライズされた知識に人間が依存していることを示しているようで面白い。アンドロイドと人間にいくら共通点があろうとも”違い”を社会的常識や上司の命令に従えば、良くも悪くも相手は人間外になってしまう。実にSFらしい視点だと思う。

  核戦争によって人間以外の動植物がほとんど絶滅しているという世界観もペットの電気羊や恋人のアンドロイドへの愛情を加速させつつ、カテゴリーに依存した人間上位の観念が憎しみを生むというアンビバレントな感情を見事に浮き立たせていてよかった。

 

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

 

  自らの余命におびえて脱走したアンドロイドとそれを追う殺し屋デッカードの物語。
 多国籍的で錯綜した情景が強烈な印象を残す作品。ネオン輝きうどんの屋台が立ち並ぶ裏通りや都市構造は九龍城を彷彿とさせ、雑居ビルに足を踏み入れればトルコ帽を被った男がストリップしている白人女に蛇を巻くというアラビアンナイト的な世界が展開している。見上げれば巨大なビデオウォールの中で舞妓が強力ワカモトを宣伝し、コカ・コーラのロゴマークが光っている。一見アジアンテイスト、オリエンタリズムな表現に見せつつ、自動車や雑居ビルといった日常空間にもしっかりと西欧文化を引用し、定義し難い画面をつくりあげている。(九龍城の崩壊、ネオン文化の衰退によって今となっては80年代に分岐したもう一つの未来となってしまった感はある)
 風景はそれなりに未来像を提示しているが、物語は記憶の植え付けに気づいたアンドロイドの絶望、人間と同様の死生観を持ったアンドロイドの死に様と非常に文学的な内容になっている。終末世界における思いやりの重要性、人間と機械の境界が曖昧になっていく過程を描いたディックの意図を巧みに映像化していると言えるだろう。
 冷戦の終わりが見えはじめ、国家主義が明確に衰退しつつあった80年代の状況を未来像に編み直した名作。

 

 

三月の読書鑑賞五選

 

 

  4DXにて七度目の鑑賞。ジュラシック・ワールド等で4DXは体験してきたけど、ここまで装置の特性を生かした作品ははじめてだった。主観ショット中の臨場感(戦車の振動に合わせて座席が揺れる)はもちろん、試合会場に漂う硝煙と火薬の匂いがそのまま客席へと流れこみ、擱座したISやKV2の装甲を叩く雨が観客を濡らし、輸送機が飛び立てば風が吹き荒れる。土の匂いがするとまではいかないが、技巧的にも非常に凝ったつくりの作品だ。
 戦車の搭載エンジンによって椅子の振動の数、強さを変えているのも素晴らしい。タイガーのマイバッハV12とセンチュリオンのマーリン(V12)は尻を叩くような痛さがあり、そのティーガーもポルシェタイプは別であっさりしていて、CV33はバイクのような気持ちよさがある。そのCV33もアイドリング中はゆったりとしていている。T-34とISももちろん違う。そういった、映像や音で表現できない戦車の個性を別な次元で表しているという意味で、非常に興味深い作品でもあった。

 

 

マン・オブ・スティール [Blu-ray]

マン・オブ・スティール [Blu-ray]

 

  12年の鉄の男。親の言いつけで超人力を封じていた男が異星人を前に苦悩する。
 ダイナミックな超人表現が印象的な作品だった。殴り飛ばされ地面や壁に”埋め込まれる”度に捲り上がる大量のアスファルト、キャッチボールのボールのように投げかわされるディーゼル機関車。摩天楼を縫うようにして将軍を追いかけている際中にソニックブームの衝撃でビルの壁が剥がれ落ちたり窓が四散する光景はカタルシスと共に美しいと思わせる力強さがある。

 

 

 

 ジャスティス・リーグ序章。圧倒的な力で悪をねじ伏せるスーパーマンとその影でビルの下敷きになっている人々を救おうとするバットマンの戦い。
 MOSに引き続いての破壊描写が魅力的な作品だ。前作に引き続いてソニックブームを何段階にも重ねながら超音速で空を飛ぶスーパーマン、レンガ造りの倉庫の壁を豪快にぶち破バットモービル。時には空からガトリングガンを吹き鳴らして敵地に大輪をを咲かせる。特に終盤の都市を更地に変えながらの戦闘にお言えることだが、飛び散る破片や光のぶつけあい、次々と落ちる雷等々のエフェクトの情報量はすさまじい。
 また弱ったスーパーマンと鎧で武装したバットマンの鈍い殴り合いも泥臭くて面白い。鋼の男たちが、たった4,5メートルの距離を投げ飛ばし合い、腹も顔もお構いなしに殴ったり蹴ったりする描写は圧倒的だ。
 スーパーマンの自警団的な振る舞いの影で犠牲になっている弱者に目を向けたり(ビルの間を吹き抜ける土埃は同時多発テロからの、瓦礫の下敷きになっていく女の子は明らかにガメラ3からの引用だろう)、ブルース・ウェインの彼の弱者を顧みない行動への憎しみと自分のファシズム的性質の間で板挟み状態になっている心理状況をフリッツヘルメットに襲われる悪夢として表現するなど、比喩的にも面白い。聴聞会の途中でホワイトハウスが炎上する場面は世界のパワーバランスを支配するスーパーマンをゲストとして招いたからこそ成し得た偉業といえるだろう。
 しかしながら、肉親の共通点や新たな敵の出現をきっかけに和解を提示するのであれば、ノーラン版のようなじめじめとした正義論を展開する必要はなかったのではないかと思う。ワンダーウーマンらとの合流をはじめ、ジャスティスリーグへの布石は的確なのだが、それらすべてが正義論の足を引っ張っている。(あるいは引っ張られている)「正義を行えば、世界の半分を怒らせる」状況は共同体の治安を左右する存在だから議論になるのであって、ヒーロー個人の問題ではないのだ。思わせぶりな正義論をぶつよりも、最初からマーサらヒーロー同志の人間関係に焦点を当てることでジャスティスリーグへの布石とすればよかったのではないかと思ってしまった。
 この映画はジャスティスリーグへの布石とノーラン版の政治劇的なスタイルの間で分裂しているように思える。

 

 

海軍めしたき物語 (1979年)

海軍めしたき物語 (1979年)

 

 

海軍主計科めしたき兵の霧島乗艦記。著者はかっこいいから海軍に、経理なら楽できそうだと思って主計科を選択したら料理に従事させられてしまったというユニークな経歴の持ち主。真珠湾攻撃の「総員見送り方」を”聞き流し”ながらの朝食作り、砲声や回避行動からくる揺れを体感しながらの戦闘配食の調理など、かまたき兵に負けないくらい区画に閉じこもって作業をしているのが印象的。運良く甲板から発艦する飛行機を見られたとしても、ぼやぼやしていたら殴られるのがオチというのも縁の下の力持ちらしい認識だと思う。
他にも巨大な回転鍋に”砂糖だけ”で味付けをした塩なし汁粉をつくってしまった話や、他科に水タンク使わせてもらうには命令とは別に主計科倉庫の砂糖を”賄賂”として渡す必要がある、ゴム長靴は贅沢だから新兵には支給しないなど、めしたき兵特有の文化も収録されていて、非常に非常に面白い。

p.8,17,46,68,94,96,108,112,133,

 

スーパーマンIV 最強の敵 [Blu-ray]

スーパーマンIV 最強の敵 [Blu-ray]

 

  87年の超人対決。太陽に投げ込まれたスーパーマンの遺伝子から生まれたニュークリアマンが彼の前に立ちはだかる。
 これまで国内でアメリカ人だけを救ってきたスーパーマンが国境を越えて人々を救う。フランスでは暴走した地下鉄を押し止め、イタリアではヴェスヴィオ火山の噴火に蓋をして、中国では乱闘で瓦礫と化した万里の長城を修復、宇宙では宙に投げ出されたソ連飛行士を救出。国連の席で核廃止を一人で宣言し、発射されたミサイルを片っ端から、それも米ソ問わずに片付けていく光景はソ連崩壊とグローバル化を控えた87年の”超”を象徴するものでもあろう。
 また、二作目のゾッド将軍以来の超人対決だけあって、表現にも様々な変化があるのが嬉しい。地面に杭のように打ち付けられるスーパーマン、各階の窓ガラスを一枚一枚撒き散らしながら天井を突き破っていくニュークリアマン、熱線で曲げられる小銃、ニューヨークは摩天楼に落下する自由の女神。アクションの技巧は前三作のいずれにも劣らない出来栄えだ。

二月の鑑賞読書五選

 

 

  78年の「空を見ろ!」「鳥だ!」「飛行機だ!」「いや、スーパーマンだ!」。落下するヘリを片腕で支え、雨あられと降り注ぐ銃弾を弾き飛ばし、空を飛べば弾道ミサイルの進路を変えてしまい、地中に潜れば腕ずくで活断層の運動を止めてしまう。スーパーマンの名に恥じぬ活躍ぶり、それを支える多様な特撮技術が見どころ。
 戦時中にはドイツ、日本ら枢軸とやりあったキャラクターをワーナー・ブラザースの支援のもと製作するという状況が政治的なものを臭わせるのだが、画面は牧歌的でアメリカらしいノスタルジーを感じさせるつくりになっている。
 育ての親の言葉を守って謙虚に自分の力を隠し、ひとりディーゼル機関車とスピードを競い、ボールを彼方に蹴って”ひとり”悦に浸るクラーク。父を亡くしたショックで広大な牧草地に一人立ち尽くし、母に別れを告げる場面や都会に出たあとでも真面目に母へ仕送りする彼の姿は超人というより古きよきアメリカ人という言葉が似合う気がする。
 80年代の宇宙特撮技術、牧場や砂漠などの懐かしの西部劇的な光景、さらに冷戦下の新聞社という場所が加わり出来上がった奇妙な一作。

 

スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版 [Blu-ray]

スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版 [Blu-ray]

 

 

 80年の超人対決。人類社会の犯罪抑止を担った彼が同等の力を持つゾッド将軍らと対決する。
 強盗や泥棒退治に明け暮れていたIとは雰囲気が違う。西部劇的なノスタルジーを感じさせた前作の雰囲気ははなく、冷戦時代の象徴である宇宙飛行士が月から放り出されたり服を破られるなどして血祭りにあげられ、ワシントンではオベリスクが叩き折られ、アメリカ合衆国大統領が将軍に土下座する。一時的ではあるがアメリカを占領しており、ホワイトハウスを炎上させるに”とどまった”インデペンデンスデイをよりも事態は悪化している。ここまで米国を追い詰めた化物はゾッド以外にいないのではないだろうか。
 超人同士の対決をテーマにしているだけあって、殴り合いも前作を遥かに凌いでいる。剣の代わりに大型バスや鉄塔をぶつけ合い、拳が当たればアスファルトを突き抜けるまで身体が吹っ飛び、口笛感覚で市民を宙へと巻き上げる。人間なら木っ端微塵になりそうな打撃を交わし合う光景が熱い。
 超人を捨て、市民生活を送っていたクラークがアメリカの危機を目にしてスーパーマンの役割を再認知するなど、内面的な成長が描かれているのも良い。超人に戻ろうとする際に父マーロン・ブランドと対話することで物語にも深みが出ている。
 超人同士という記号化の機会をあえて逃し、スーパーマンに試練を与えることで、より味わいの増した続編。

 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

 

 戦後サブカル史、大きな物語の一端だったウルトラマンからデータベース消費を導入した仮面ライダーまでを通史的に解説。東宝の子どもとして生まれ、イデオロギー装置としての役割を果たした初代ウルトラマンベトナム戦争の影響を受けて風刺と化したセブン。良くも悪くも国家主義的だった円谷特撮とは距離を取り、テロ組織に一人で立ち向かう悲劇の人間を描いた仮面ライダーや少年のマッチョ趣味の結晶であるマジンガーZなどの作品が今現在のサブカルをつくったという指摘は非常に興味深い。平成になっても龍騎がライダー同士で殺し合いやトロッコ的な正義のあり方を語ることで、あるいは電王が誰にでも憑依可能なモモタロスを描いてライダーの特権性を崩壊させることで、国家権力の抹消、勢力図が縮小されリトル・ピープル化が後押しされているというのも面白かった。ディケイドのデータベース化、メタフィクション論を経由して動物化するポストモダンらき☆すたや邦画のデータベースからの引用した記号的表現)に接近していく終盤は気持ちが良い。

 この手の本にしてはめずらしく、自衛隊映画と言われるガメラ2にも、自衛隊は災害出動することで暴力装置的な意識を排除している、として一目置いている。ただ、ガメラと共同戦線を張った瞬間に国家権力が著しくなっていると断りは入っている。

p.183,213,217,223,236,282,334,355,372,384,415,423,437,480,485

 

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

 

 

 

 ゴジラ歴史主義批評、サンフランシスコ講和条約から2年後の1954年11月3日、本格的な戦後復興を表すように現れてから田中友幸らの手で一時的に中断される95年までの間にゴジラが背負っていた歴史的映画技巧背景を分析。日本復活を象徴して”在日米軍の代わり”に出動する防衛隊、ネオンによって鮮やかに照らしだされる東京、銀座は松坂屋デパート。そういった戦後の様相と勝鬨橋を破壊するゴジラを罵倒する「ちくしょう」という言葉、負傷者で溢れる病院(東京大空襲)、オキシジェンデストロイアの投入とゴジラ死すの報(玉音放送)といった大東亜戦争のイメージを重ね合わせることで戦後の変化を表しているという指摘は非常に興味深い。

 台本下書きに記された設定を映画と比較し、ゴジラを保護しようとする山根博士の行動を帝大時代の支那発掘調査と結びつけたり、芹沢博士の満州時代の研究と右目の傷を軍部の化学兵器研究と組み合わせるなどして戦中とのつながりを追っているのも面白かった。5,161,165,181,190

 

モスラの精神史 (講談社現代新書)

モスラの精神史 (講談社現代新書)

 

 

 モスラ歴史主義批評。蛾の怪獣という東宝特撮史上でもユニークな存在を古代の養蚕業からポストコロニアルまでを押さえながら解釈。東宝専属ではなく、文壇のロマンチシズムから生まれた斑模様の怪獣、関沢の南方作戦従軍の経験から生まれたインファント島、彼ら旧帝国兵の未練と南洋諸島の弱小民族の怒りを汲んでアメリカを強襲するモスラ地位協定を連想させる外交特権を利用して小美人を誘拐する片言の日本語を話す白人。シネスコ4chサラウンド収録という作品のインパクト故に見過ごされがちな背景を同時代的な視点で丁寧に追っているのが面白い。
 基本的には昭和三十六年版の解説だが、比較対象として中村真一郎らによって書かれた小説版を用いているのも興味深い。国会議事堂に繭をつくり立法機関に銃口を向けさせることで安保的状況をつくった原作とモダニズムの象徴を破壊した映画、ジャーナリストの独走によって完結している映画に対して、原作では言語学者の小美人との絆とそれを守ろうとする記者の良心、アカデミズムとジャーナリストの連携がテーマとなっているという指摘は重要なものだろう。

p.48,64,74,78,105,114,184,216,243