2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

一月の鑑賞読書五選

 

大理石の男 [DVD]

大理石の男 [DVD]

 

  77年、ソ連労働英雄の栄光と悲劇。
 レンガを八時間かけて積み続け、英雄となったビルクートがどのように祭り上げられたか、そしてどのような最後をとげたのかをプロパガンダを製作した監督や親戚へのインタビューを通して明らかにしていく。
 映画は白黒のソ連ニュースからはじまる。笑顔でレンガを積み続ける男たちだが、インタビューを続けるうちに、彼らが記録達成のために動物のようにソーセージをたらふく食わされ、見た目が悪いと髭をそるように命じられていたことがわかる。露出補正のために掲げられたでかでかとしたライトの下、カメラマンの指示で姿勢を変えたり、歩き直させたりする光景の滑稽なこと。
 欺瞞に満ちた社会の暴走は労働英雄の地位を獲得したあとも止まらない。彼の功績を称えるかのよう上げられるレンガ積みのノルマ、割当が増えたことで英雄を憎み、レンガと焼け石をすり替えて両腕に傷を追わせる労働者たち。
 労働英雄の怪我の嫌疑を受けて同僚は逮捕、拘束される。ショックを受けた彼は役所を巡り歩き、地方の集会で党の検閲をすり抜けて演説をぶち、酔っ払って事務所にレンガを叩きつける暴挙に及び、最後には公開裁判にかけられてしまう。党本部に掲げられていた肖像画は引きずり降ろされ、住居からは退去を命じられ、妻には公開裁判で裏切り者と弾劾される様子はピタゴラスイッチのような、全体主義社会の司法システムの悲劇的性質を見事に描き出している。
 作品の構造はハリウッドのスキャンダル映画と似ている。しかし、映画学校の教授を抑圧している党の力や労働英雄が社会の中で果たしていた役割、悲劇的な影響力を的確に捉えた作品はこれ以外に存在しない。
 鉄のカーテンの向こう側の労働事情、スターシステムがもたらした悲劇の核心を突いた傑作モキュメンタリー。

 

 

カティンの森 [DVD]

カティンの森 [DVD]

 

  07年のカティンの森事件ソ連によってポーランドが”解放”された後に行われた関係者への弾圧、証拠隠滅の物語。
 ソ連を糾弾するために事件を利用しようとするドイツ、逆に抹殺しようとするソビエトの闇が克明に描かれているのが印象的だ。反共プロパガンダのために遺族をマイクの前に立たせてソ連を罵倒するように求める独軍将校、”カティンの森ソ連軍に殺害された”と書かれた墓石を打ち壊し、関係者を収容所へと送るなどして証拠を片っ端から処分していくソ連。歴史を都合のいいように改造する全体主義国家の性質、戦中も戦後も政治的に利用されるしかなかった遺族の悲しさをバランスよく描いている。
 国家犯罪という複雑な問題を主題としていながら、歴史劇として読むことができる構造になっているのが興味深い。第二共和国の崩壊によって行き場を失った兵士たちを囲うソ連軍、共に移送先を相談するドイツ軍。紅白の国旗を真っ二つに引き裂き赤祺を自作するカットで終わる冒頭には西欧諸国から見放された1939年のポーランドの政治情勢が凝縮されている。
 国家犯罪に悲劇、政治の両方からアプローチした奇妙な一作。

 

 

ゴジラ(1984年度作品) [60周年記念版] [DVD]
 

  84年の東西冷戦怪獣映画。三十年前、戦後のどん底に現れ東京を火の海にした怪獣が、高度成長期を経て繁栄を謳歌する日本に再上陸。
 東京大空襲の比喩的表現だった初代を引き継ぎ、今作は米ソ間で揺れ動く日本を風刺。日本近海でのソ連原潜の沈没、怪獣出現を保安上の問題と捉え、新宿への核ミサイルの発射を要請するアメリカとソ連、それを非核三原則で退ける小林桂樹首相のやりとりは84年の日本の地政学的立ち位置を見事に表している。
 特撮もバブル期の情景を反映している。停電により一斉に明かりが消えてゴーストタウンと化す首都、コンクリを撒き散らしながら横転する高層ビル、鷲掴みにされ乗客を振り落とす新幹線、熱線によって焼き潰される銀色の自衛隊超兵器。奇跡の復興を遂げた日本の100万ドルの夜景が一夜で焦土と化す光景のなんとおぞましいことか。
 米ソ冷戦が産んだ奇跡の怪獣映画。

 

 

ガメラ2 レギオン襲来 デジタル・リマスター版 [DVD]

ガメラ2 レギオン襲来 デジタル・リマスター版 [DVD]

 

  96年の防衛出動。情報通信設備を食して都市の機能を破壊していく”近代的怪獣”と自衛隊ガメラが対決。
 次々と情報通信設備を破壊されパニックに陥るNTT、警備活動に当たるも胸の通信機ごと木っ端微塵に砕かれる機動隊員、広島以来の巨大爆発で中心部から半径五キロのものすべてを破壊しつくされた仙台、繁殖のために飛び交う小型レギオンの群れとそれを搭載する巨大レギオン。”多勢”で通信設備を破壊し、戦略級の爆撃で国家に打撃を与えるというレギオンは擬似的な国家であり、シチュエーションはまさに戦争そのもの。
 対応する自衛隊も手慣れたもので、小型レギオンは単体遭遇の場合は89式で、群れは高射砲や対戦車ヘリで撃墜し、戦略級の爆弾である草体は極力被害を抑えつ発射薬を爆破、ガメラ援護のために大型レギオンに対して90式戦車パンツァーファウストIIIは火を噴く。後追いではあるものの、警察権力の制止をものともせず制圧する自衛隊の逞しいこと。
 P2で戦後を終わらせ、ギャオスで自衛隊の治安出動に対するためらいを放棄し、ついに防衛出動にまでこぎ着けた伊藤和典による自衛隊映画の最高傑作。

 

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

 

 

 動物化するポストモダン改。前著でデータベース化された少女の消費として提起されていた、メタ視点の可能性についての補強が大部分を占めている。アドベンチャーゲームのゲームオーバーとコンティニューの繰り返しの中に生まれる複数化した死、その死を文学的な経験として描き出すことで一度の死しか持ち得ない現実の虚しさを表現したAll You論、複数のヒロインを攻略して次々と女を乗り換える(現実の)プレイヤーを主人公の記憶を喪失する少女という設定をつかって風刺したONE論等々、物語とゲームシステムを往復する考察が面白かった。

 前作のデータベース消費論に足りなかった物語の生産についても、若干補足されている。 ヲタ界隈の想像力はキャラクター、SFやミステリ、ファンタジーの肥やしといったデータベース化された素材にヲタ同士のコミュニケーションの自然主義的、私小説的な表現が加わることによって充実している、等。

 個人的に大塚の政治的な部分が脱色されているのが良かったのだが、大きな物語はデータベース化されてなかったのか、想像力の原始を発見していない時点で、一種の循環論に陥っているのではないか等々の疑問が残る。 p.62,72,98,130,165,180,

 また、ヲタ界隈の市場分析を通してデータベース消費の果てにメタフィクションが来ると結論を引き出してくるのは面白いのだが、モリエールアカデミー・フランセーズルイ14世をからかって女房学校批判を書いたように、あるいは映画の時代性に挑戦するためにフェリがそして船はゆくを撮ったように、テーマの多様化や技術が蓄積されると、そのジャンル自体を風刺した作品は容易に生まれてくるのではないか、一ジャンルの分析だけでポストモダン的という言葉をつかってもよいのか、とも思う。