印象 2013/06/01-

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六月の本とか映画とかの感想文

 

  宗教国家化する連邦と、その信念に基づき血みどろになりながら昆虫型宇宙生物と戦う兵士の物語。

 初代の監督を務めたバーホーベンが製作総指揮へ復帰、彼のロボコップ以降の脚本を執筆し続けてきたエド・ニューマイヤーが監督、脚本を執筆したことで2で失われたグロテスクな表現と風刺が作品に盛り込まれている。虫の一振りによって吹き飛ぶ手足、串刺しにされる頭部、爆風で吹き飛んだスコップに胸部を貫かれる兵隊たち。SFという誇張された表現が許される媒体でこそ可能な悲惨な光景が次々と展開されている。
 第一作の戦争を煽り立てるマスコミと戦場のグロテスクな光景のチグハグ感を利用し、逆説的に反戦を訴えていた構図を利用して侵略SFを宗教戦争に読み替えているのも面白い。家族や戦友といった20世紀型の動機付けは彼らの死によって断たれるが、神の御加護は当人が死んでも続く。普遍的存在ほど組織をまとめるのに的確なものはない。(同様にP爆弾投下等の残虐行為を正当化する理由にもなる)。それらを証明するかのようにマローダーが死の天使の位置について空から降り立ったり、聖衣を羽織ってCMに登場する様子は宇宙時代の十字軍といった風で強烈な印象が残った。
 予算の都合から映像に粗はあるが、風刺や戦争映画からの引用を巧みに操って魅力的な作品に仕上がっている。

 

 

  ニューヨーク、ロサンゼルス、そしてワシントンに出現した巨大円盤と米国の戦い。
 円盤の巨大感、細々としたディテールがが強烈な印象を残す作品。月面を覆い尽くすように現れる巨大な影、ニューヨークを包囲するように落ちる巨大な燃える雲、炎上するホワイトハウスと大きすぎて魚眼レンズを通して観たような錯覚を起こさせる巨大円盤。影や雲といった実際の気象現象を引用することで予備的なスケール感を表し、とどめに無数の構造物や突起、光源に覆われた円盤そのものをアメリカの広大な情景と合成し、比較させることで、ひとつの都市、ひとつの国の終わりを見事に表している。(スクリーンに投影可能な情報量の都合から考えて、この作品はTVで見る意味はない)
 大統領率いる縦列応対のF-18が離合集散し小型UFOと空戦を繰り広げる光景や生き残った人々がキャンピングカーでバッファローの群れの如く移動する様子も理屈抜きに美しい。
 ワシントンとホワイトハウスの炎上が世界の終末を予感させ、黒人パイロットがエイリアンを捕獲し、大統領自らF-18に乗り込み戦列に参加し空戦に参加し、アメリカと地球の勝利を宣言するという物語の流れも(ややパクス・アメリカーナを臭わせはするが)90年代の終末論的な雰囲気をひっくり返すような豪快さがあって面白い。

 

  ロサンゼルスを占領したエイリアンと米軍の戦い。
 湾岸、イラク戦争のフレームで地球侵略を描いた作品でCNNによる世界的規模の侵略報道(スマトラ島イラク戦争の報道映像が引用されている)にはじまり、ロスの複雑な路地や避難民によって置き去られた車に隠れ、ゲリラ的に銃撃を浴びせるエイリアン、砂嵐に視界を奪われ半狂乱で抵抗する兵士たちの姿が印象深い。
 テロとの戦いをただ宇宙人との戦いに置き換えただけか、といえばそう単純ではなくて、帰途に使っていた巨大なハイウェイが寸断され待ち伏せ場所として利用されていたり、敵機をガソリンスタンドに誘導してスタンドもろとも爆破するなどアメリカの情景を巧みに小道具に転用している。
 物語はロスから一度撤退した米軍が民間人を救出するために敵地へ潜入、メキシコ系移民との触れ合いや戦友の死とそれを理解していながら命令を出さねばならない上官の苦悩を通して成長するという、プライベートライアンと宇宙の戦士を組み合わせたようなものになっている。語られている理念もベトナム戦争以前の米軍尊崇の気配があり、ハインラインの宇宙の戦士を髣髴とさせる(この意味でスターシップ・トゥルーパーズよりも原作に近いと思う)
 ベトナム戦争以来、ベトコンの比喩的表現として地球外生命体を描き続けてきたアメリカ映画にしてはストレートで迫力のある映画だった。

 

バトルシップ [Blu-ray]

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  ロシア海軍初参加を歓迎するようにリムパックに降り立った宇宙生物と日米駆逐艦隊の戦い。
 ニートから脱出して海軍士官になったダメ男が将軍の娘を嫁にもらうために奔走する、という艦隊戦とは何の関係もない脚本が主題といえば主題なのだが、この内容のなさが作品の映像美へと誘う効果を生んでいるのが面白い。(マイケル・ベイのような中途半端な思想信条は皆無)
パンジャンドラムを彷彿とさせる)回転兵器に踏み潰される横二列に並んだヘリ、橋桁をドミノのように倒され崩落する高速道路、宇宙船からMLRS風に放たれる無数の地雷、迎撃する数千発のCIWSの弾丸、撃ち漏らした地雷によって膨らみ弾ける護衛艦、真っ二つに避け沈んでいく駆逐艦、戦艦ミズーリから放たれる40cm砲の爆炎と衝撃波で凹む海面。舞台がハワイであることもあって、真っ青な空のもと、海岸にグラデーションをかけるように広がる爆炎のオレンジや飛翔する無数の弾丸の痕跡、燃える艦艇からはじける火花は非常に美しかった。
 リムパックで細々とした波を立たせて進む日米駆逐艦、モーゼのように波を割りながら進む戦艦ミズーリ、四足歩行で海を叩きながら歩く宇宙船と航跡もきちんと(美しく)描き分けられているのもよかった。
 この作品には意味はない。劇中には吊り橋効果的な恋愛描写は存在しない。かといって、まじめにリムパックというお祭りの意味を問う作品でもない。ダメ男と彼に引っかかった娘の日常感の延長で、”偶然”リムパックの期間を共に過ごすことになった日米の将官が武器を手に取り決め台詞やジョーク、そして弾丸を飛ばしまくる単純な映画だ。だが、そのシンプルな脚本が最高の視覚体験を与えてくれる絶妙な作品でもある。

 

ワーグナー ニーベルングの指環〈上〉序夜『ラインの黄金』・第1日『ヴァルキューレ』 (オペラ対訳ライブラリー)

ワーグナー ニーベルングの指環〈上〉序夜『ラインの黄金』・第1日『ヴァルキューレ』 (オペラ対訳ライブラリー)

 

   エッダとニーベルンゲンの歌を元にした舞台祝祭劇の対訳本。ラインの黄金はヴォータンと巨人の間に起こった神々の住処の賃金未払い騒動が種になっている。原作ではトールによって巨人が打倒され物語は終わるが、本作ではギリシャ悲劇を思わせる悲劇の連鎖となっているのが面白い。借金前借りで自分の城を建てるヴォータン、取立てに来た巨人を殴り殺そうとするドンナー(トール)、ラインの乙女に失恋し、慰めに彼女から奪った黄金でつくった指輪をさらにヴォータンの借金返済のために奪い取ら世界を呪うアルベリヒ、ヴォータンから借金代わりに渡された指輪に呪い殺される巨人族、最初から最後まで嘆き悲しみ唄うラインの乙女たち。全体を包み込むようにちりばめられた悲劇が心を打つ。また、悲劇は小人と巨人だけにとどまらず、ヴォータンも巻き込んだ指輪の奪い合いへと発展して神々の分裂を招き、黄金自体は第二夜のジークフリート、ギービヒ家によって拾われ神々の黄昏へとつながっていくのだが、このスケール感も中々のもの

 ヴァルキューレはヴォータンの末裔ジークムントとジークリンデの兄妹駆落の物語でウォルスング家の物語が元。原作は二人の悲哀の物語だが、本作では彼らの父であり剣ノートゥングを与え支援したヴォータンと近親相姦と不倫を許さずヴォルフング家を用いて抹殺しようとするフリッカの対立が重ねあわせられ重層感が増している。賃金騒動の件で孤立を深めたヴォータンが最終的に彼らを見捨てる場面が何とも哀しい。彼を庇って炎に包まれた岩山に閉じ込められたブリュンヒルデは一見神々しいが、これもジークムントの悲劇と同じくジークフリート、神々の黄昏の伏線であり、これまた陰鬱。浪漫と悲劇のバランスが絶妙な一遍だ。

 

六月の読書やら鑑賞やら - 2013/06/01-