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印象 2013/06/01-

オールタイムベスト http://efnran.hateblo.jp/entry/2016/01/01/000000

二月の鑑賞読書五選

 

 

  78年の「空を見ろ!」「鳥だ!」「飛行機だ!」「いや、スーパーマンだ!」。落下するヘリを片腕で支え、雨あられと降り注ぐ銃弾を弾き飛ばし、空を飛べば弾道ミサイルの進路を変えてしまい、地中に潜れば腕ずくで活断層の運動を止めてしまう。スーパーマンの名に恥じぬ活躍ぶり、それを支える多様な特撮技術が見どころ。
 戦時中にはドイツ、日本ら枢軸とやりあったキャラクターをワーナー・ブラザースの支援のもと製作するという状況が政治的なものを臭わせるのだが、画面は牧歌的でアメリカらしいノスタルジーを感じさせるつくりになっている。
 育ての親の言葉を守って謙虚に自分の力を隠し、ひとりディーゼル機関車とスピードを競い、ボールを彼方に蹴って”ひとり”悦に浸るクラーク。父を亡くしたショックで広大な牧草地に一人立ち尽くし、母に別れを告げる場面や都会に出たあとでも真面目に母へ仕送りする彼の姿は超人というより古きよきアメリカ人という言葉が似合う気がする。
 80年代の宇宙特撮技術、牧場や砂漠などの懐かしの西部劇的な光景、さらに冷戦下の新聞社という場所が加わり出来上がった奇妙な一作。

 

スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版 [Blu-ray]

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 80年の超人対決。人類社会の犯罪抑止を担った彼が同等の力を持つゾッド将軍らと対決する。
 強盗や泥棒退治に明け暮れていたIとは雰囲気が違う。西部劇的なノスタルジーを感じさせた前作の雰囲気ははなく、冷戦時代の象徴である宇宙飛行士が月から放り出されたり服を破られるなどして血祭りにあげられ、ワシントンではオベリスクが叩き折られ、アメリカ合衆国大統領が将軍に土下座する。一時的ではあるがアメリカを占領しており、ホワイトハウスを炎上させるに”とどまった”インデペンデンスデイをよりも事態は悪化している。ここまで米国を追い詰めた化物はゾッド以外にいないのではないだろうか。
 超人同士の対決をテーマにしているだけあって、殴り合いも前作を遥かに凌いでいる。剣の代わりに大型バスや鉄塔をぶつけ合い、拳が当たればアスファルトを突き抜けるまで身体が吹っ飛び、口笛感覚で市民を宙へと巻き上げる。人間なら木っ端微塵になりそうな打撃を交わし合う光景が熱い。
 超人を捨て、市民生活を送っていたクラークがアメリカの危機を目にしてスーパーマンの役割を再認知するなど、内面的な成長が描かれているのも良い。超人に戻ろうとする際に父マーロン・ブランドと対話することで物語にも深みが出ている。
 超人同士という記号化の機会をあえて逃し、スーパーマンに試練を与えることで、より味わいの増した続編。

 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

 

 戦後サブカル史、大きな物語の一端だったウルトラマンからデータベース消費を導入した仮面ライダーまでを通史的に解説。東宝の子どもとして生まれ、イデオロギー装置としての役割を果たした初代ウルトラマンベトナム戦争の影響を受けて風刺と化したセブン。良くも悪くも国家主義的だった円谷特撮とは距離を取り、テロ組織に一人で立ち向かう悲劇の人間を描いた仮面ライダーや少年のマッチョ趣味の結晶であるマジンガーZなどの作品が今現在のサブカルをつくったという指摘は非常に興味深い。平成になっても龍騎がライダー同士で殺し合いやトロッコ的な正義のあり方を語ることで、あるいは電王が誰にでも憑依可能なモモタロスを描いてライダーの特権性を崩壊させることで、国家権力の抹消、勢力図が縮小されリトル・ピープル化が後押しされているというのも面白かった。ディケイドのデータベース化、メタフィクション論を経由して動物化するポストモダンらき☆すたや邦画のデータベースからの引用した記号的表現)に接近していく終盤は気持ちが良い。

 この手の本にしてはめずらしく、自衛隊映画と言われるガメラ2にも、自衛隊は災害出動することで暴力装置的な意識を排除している、として一目置いている。ただ、ガメラと共同戦線を張った瞬間に国家権力が著しくなっていると断りは入っている。

p.183,213,217,223,236,282,334,355,372,384,415,423,437,480,485

 

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)

 

 

 

 ゴジラ歴史主義批評、サンフランシスコ講和条約から2年後の1954年11月3日、本格的な戦後復興を表すように現れてから田中友幸らの手で一時的に中断される95年までの間にゴジラが背負っていた歴史的映画技巧背景を分析。日本復活を象徴して”在日米軍の代わり”に出動する防衛隊、ネオンによって鮮やかに照らしだされる東京、銀座は松坂屋デパート。そういった戦後の様相と勝鬨橋を破壊するゴジラを罵倒する「ちくしょう」という言葉、負傷者で溢れる病院(東京大空襲)、オキシジェンデストロイアの投入とゴジラ死すの報(玉音放送)といった大東亜戦争のイメージを重ね合わせることで戦後の変化を表しているという指摘は非常に興味深い。

 台本下書きに記された設定を映画と比較し、ゴジラを保護しようとする山根博士の行動を帝大時代の支那発掘調査と結びつけたり、芹沢博士の満州時代の研究と右目の傷を軍部の化学兵器研究と組み合わせるなどして戦中とのつながりを追っているのも面白かった。5,161,165,181,190

 

モスラの精神史 (講談社現代新書)

モスラの精神史 (講談社現代新書)

 

 

 モスラ歴史主義批評。蛾の怪獣という東宝特撮史上でもユニークな存在を古代の養蚕業からポストコロニアルまでを押さえながら解釈。東宝専属ではなく、文壇のロマンチシズムから生まれた斑模様の怪獣、関沢の南方作戦従軍の経験から生まれたインファント島、彼ら旧帝国兵の未練と南洋諸島の弱小民族の怒りを汲んでアメリカを強襲するモスラ地位協定を連想させる外交特権を利用して小美人を誘拐する片言の日本語を話す白人。シネスコ4chサラウンド収録という作品のインパクト故に見過ごされがちな背景を同時代的な視点で丁寧に追っているのが面白い。
 基本的には昭和三十六年版の解説だが、比較対象として中村真一郎らによって書かれた小説版を用いているのも興味深い。国会議事堂に繭をつくり立法機関に銃口を向けさせることで安保的状況をつくった原作とモダニズムの象徴を破壊した映画、ジャーナリストの独走によって完結している映画に対して、原作では言語学者の小美人との絆とそれを守ろうとする記者の良心、アカデミズムとジャーナリストの連携がテーマとなっているという指摘は重要なものだろう。

p.48,64,74,78,105,114,184,216,243