2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

四月の読書鑑賞五選

 

  X-MEN結成秘話。能力によって社会に虐げられてきた人々、あるいはコンプレックスとして捉えていた能力者たちが組織を立ち上げるまでが描かれている。
 肌の色に対する差別を恐れミュータントとしての誇りと人類への憧れの間で揺れ動くミスティーク、四足であることをコンプレックスと捉えDNAをいじることで人間になろうとして墜落してしまうビースト。
 X-MENのシリーズ中では最も因縁が深く、かつ本作では世界史と作品を重ねあわせる役割を果たしているマグニートは一際輝いている。肉親を目の前で惨殺され、左胸にダビデの星、腕に整理番号を刻印されたポーランド強制収容所時代、羽ばたく鷲が刻まれた金塊を胸に抱いて南米へと逃走図ったナチ残党を狩りにでかけた戦後。彼のナチハンターとしての執念が1945年に終わったはずの悪夢とキューバ危機を結びつけ、さらにX-MEN結成へとつながっていく過程は圧巻。
 ナチハンターとして、またX-MENの一員としての活躍が人類による迫害の要因となりマグニートが敵対していたはずの優生思想に染まっていく様子も皮肉が効いていて面白かった。

 

 

  アメリカ史を乗り越えてきたある狼の物語。
 ファースト・ジェネレーションがナチスドイツによるユダヤ人迫害からはじまったX-MENの物語なら、こちらはアメリカ合衆国によって戦われてきた一連の戦争、人体実験を俯瞰する作品だといえるだろう。ローガンが体験するはじめての戦争は南北戦争、のちに二度の欧州大戦へも出征し、あるときは立ちはだかるドイツ帝国に向けてフランスの平原へと突撃し、あるときはノルマンディオマハ・ビーチの崖を駆け上がりドイツ人を投げ落とす。アメリカ史とウルヴァリンの関連が示されている冒頭数分はファースト・ジェネレーションに登場したキューバ危機同様の衝撃を与えてくれる。
 ベトナム戦争という負の歴史が物語のキーとなっているのも興味深い。(あくまでアメリカの視点のはなしになるが)正義の戦争だった二度の世界大戦とは雰囲気から異なる。それまで国家の兵士として描かれていたローガンのチームもヘリから民間人に向けて機関銃を無差別に撃ちまくり、あげくの果てには尋問のための虐殺、強姦未遂と罪を重ねていく。戦争が終わっても、本国で木こりとして働くローガンのもとにはベトナム戦争時代の元上官が現れ、色仕掛けで彼を騙して生体実験を施してしまう。東南アジアの前線へと放り込み、戦後の保証を怠っているという点ではランボーを髣髴とさせるし、かつての戦友とお礼参りを果たす場所がスリーマイル島というのも皮肉がきいている。
 X-MENの中ではいまいち地味でか弱い存在をアメリカ史の一員として描くことでドラマチックに浮き立たせた名作。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

  不法人造移民追跡記。機械諸々は人間に使役されるべく生まれたと信じる主人公リックがアンドロイドを追跡していくうちに段々と信念を見失っていく様子が興味深い。人を感動させるだけの力のあるアンドロイドの歌姫、精神的にもつながり合うことのできるセクサロイド、そういった温かみのある機械人形に対してアンドロイドを撃ち殺すことに戸惑いのない懸賞金稼ぎ。敵であるはずのアンドロイドと性行為に及んで双方が目的を忘れかける様子はこの作品がSFであることを忘れさせてくれた。

 結局、主人公は狩りを続けてしまうのだが、その行動が愛や人情よりもカテゴライズされた知識に人間が依存していることを示しているようで面白い。アンドロイドと人間にいくら共通点があろうとも”違い”を社会的常識や上司の命令に従えば、良くも悪くも相手は人間外になってしまう。実にSFらしい視点だと思う。

  核戦争によって人間以外の動植物がほとんど絶滅しているという世界観もペットの電気羊や恋人のアンドロイドへの愛情を加速させつつ、カテゴリーに依存した人間上位の観念が憎しみを生むというアンビバレントな感情を見事に浮き立たせていてよかった。

 

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

 

  自らの余命におびえて脱走したアンドロイドとそれを追う殺し屋デッカードの物語。
 多国籍的で錯綜した情景が強烈な印象を残す作品。ネオン輝きうどんの屋台が立ち並ぶ裏通りや都市構造は九龍城を彷彿とさせ、雑居ビルに足を踏み入れればトルコ帽を被った男がストリップしている白人女に蛇を巻くというアラビアンナイト的な世界が展開している。見上げれば巨大なビデオウォールの中で舞妓が強力ワカモトを宣伝し、コカ・コーラのロゴマークが光っている。一見アジアンテイスト、オリエンタリズムな表現に見せつつ、自動車や雑居ビルといった日常空間にもしっかりと西欧文化を引用し、定義し難い画面をつくりあげている。(九龍城の崩壊、ネオン文化の衰退によって今となっては80年代に分岐したもう一つの未来となってしまった感はある)
 風景はそれなりに未来像を提示しているが、物語は記憶の植え付けに気づいたアンドロイドの絶望、人間と同様の死生観を持ったアンドロイドの死に様と非常に文学的な内容になっている。終末世界における思いやりの重要性、人間と機械の境界が曖昧になっていく過程を描いたディックの意図を巧みに映像化していると言えるだろう。
 冷戦の終わりが見えはじめ、国家主義が明確に衰退しつつあった80年代の状況を未来像に編み直した名作。