2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

2008

 東欧がキナ臭い。戦争から七十年も経てば戦争体験者も数を減らし、生の体験は失われる。そろそろ世界大戦か、という根拠のない予感がここ五年ほどあったが、それが現実になった。

 というのは正に根拠のない妄想で世界はそんな杓子ではかったようには出来ていない。身近に感じたから”今起こっている”と錯覚するだけで世界にはいつだって戦争が蔓延っている。少なくとも東欧にとってソ連崩壊は三十年前の出来事で、あの国を体験した人々はまだまだ現役だ。崩壊したあとも東欧ならユーゴスラヴィアアフガニスタン、イラン、イラク第三世界、いつだって戦争があった。

 とはいえ、それをすべて自覚するのは難しい。というか不可能だ。俺も忘れていた。そんなわけで、この演奏を思い出した。


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 2008年の南オセチア紛争の時に慰問に訪れたゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の演奏。鎮魂の演奏と思いきや演目がそうではない。プログラムはチャイコフスキー交響曲第五番の抜粋にはじまり、戦争交響曲とも言われるショスタコーヴィチ交響曲第七番の第一楽章”だけ”、チャイコフスキー交響曲第六番の第三、四楽章”だけ”で終わる。

 こんな景気のいいプログラムはファミリーコンサート、いやニューイヤーコンサートでも見たことがない。これが同じショスタコーヴィチの八番やチャイコフスキーの六番全曲(他で演奏してはいる)ならまだ逆説とも読めるが、ここまでイデオロギーがあからさまでは弁護はできない。東欧での一件以来、彼をフルトヴェングラーと比較する向きがある。しかし、彼のこの演奏会、当時のメディアへの露出と発言を省みれば同一視するのは難しいだろう。(比較するならカラヤンだろうか。ヤンソンスと比較するのは論外だろうし)

 私はここで何かを批判するつもりはない。むしろ、2008年当時のことを忘れていた自分に唖然とする。戦争はとっくにはじまっていたし、その自覚がなかっただけなのだ。これは東欧での出来事だけには限らない。もう私は去年カブールで起こったことも忘れている。タリバン政権の動向は?シャリーア法の施行は?あれからまだ半年も経っていないではないか。人間は万能ではない。これから全てを知ることはできないし、全てを覚えているわけではない。しかし、何か忘れていないか、取りこぼしていないか、それを自覚し、注意しながら意識を巡らせることくらいはできるのではないか。少なくとも”西側にいるから安全だった”くらいのことは常に感じているべきではなかったか。

 かの指揮者の境遇とそれに対する反応を見てそんなことを思った。

誕生日だったので

 ザッハーのトルテを食べた。といっても輸入するのも困難な時勢なのでデメルで手に入れたのだけれど。

 ホテルザッハーと同じ桐箱入り。(デザインは異なる)

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 そして公式どおりにホイップクリームを添える。飾りの意味合いもあるのだろうけれど、そもそものザッハトルテのチョコレートの濃度、アプリコットジャムの風味がかなり濃いのでクリームで調整する役割もある。ケーキがほんの少しボソッとしていて、油脂のこってり感とも調和している。今回は四号を六人で分けたが、それでも胸いっぱいになった。

 ちなみに合わせた紅茶はロンネフェルトのルイボスティー。普段はカモミールだけれど、これだけ濃いお菓子となると味も香りも負けてしまうので、あえて癖の強いものを選んでみた。結果は大正解で、互いの渋みが相殺し合ってくれた。

 歴史を知るために買ったようなものなのでもう来ないだろう、と思いつつトリュフの詰め合わせを買ったのだけれど、それもまた美味。思わぬ収穫だった。お気に入りだったヴィタメールのそれよりも舌に合っているかもしれない。いろいろと試したいケーキもあったので、継続的に通おうと思う。

 それはそれとして三十路かぁ……多くは語らないけれど。

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四条で飲んで遊んで

 引越しの準備もあらかた終わったので「最期だから写真でも撮りに出るか!」と勇み足で四条まで下りたのだけれど、けっきょくビアホールで飲んで酔って、きがついたらアパートで突っ伏していた。(この文章も二日酔いの頭を抱えながら書いている)

 まぁいいか……森見ブームで先斗町も寺町も嫌になるほど写真に撮られているわけだし。(四畳半、有頂天等々の小説題名で検索すれば直ぐに見つかる)

 当初は四条の風景を切り取る、というようなことをやろうと思ったのけれど、材料もないので泥酔していた時の一枚を貼っておく。自分への戒めも兼ねて。

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 これは昼に丸善で食べた早矢仕オムライス。卵の焼き加減、厚さが共に絶妙でルーと溶け合っている。美味。

 

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平家3

 アマゾンプライムに来ていたので兄弟と一緒に鑑賞。大事な鹿ヶ谷の陰謀なのにクローズアップとカットバックが多い。あまり好みの画ではなかったからさらっと流していたのだけれど、見直したら実相寺風のカットが要所要所で挿入されていて面白かった。

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 PVでも使われていた脚のロングショットもここで登場。ジャンプカットやるのかな、と当時は思ったのだけれど、そっち方面の演出はない。

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 重盛が清盛を諌めるショットも超ローアングル。

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 いや、なんで見逃してたんだろ……寝ぼけてたのかな。ただし、(良い意味で)歪なショットが多いのに対してワンテイクの動作は少ない。ショットの強さで勝負するなら編集は短めになる、というのは映画アニメ両方の必然なんだろうか。

 それを補うためなのか足/脚をつかった動きは多いのだけれど。

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 他にも眼の超クローズアップや左右両方詰めの構図が多様されていて、けっこうぬーヴぇるばーぐっぽい。詰めの構図は1,2でも使われていたのでいずれまとめたい。

丸善で早矢仕を食べたり平家を見たり

 来月には京都のアパートを引き払って奈良に戻る、ということで行ってきた。

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 酸味の多い、トマトベースの味付けだった。カレーやデミグラスソースはまず野菜と肉で出汁をとるものだけれど、このハヤシライスにはない。特に肉の味は皆無といってもいいほどで、トマトにふわっと旨味がのったような、上品な味わい。おそらく、市販のルーで再現するのは困難だろう。また食べたい。

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 これはセットについてきた檸檬ケーキ。丸善といば檸檬檸檬とくれば梶井基次郎。京都の店舗ということもあってその辺を”わかった”献立。味も檸檬に相応しく渋みがきいている。ただ、単にえぐいのではなく檸檬の部分をムースが覆うことで味を相殺し合っていて、ケーキとしての完成度も高い。これもまた食べたい。

 

 もう引越しまで秒読み段階にはいっているのに何でここで欲が出てくるんだろうね。よくないよくない。

 

 あとアニメの平家物語を観た。

 これが困った作品なのだ。実は「平家を見たり」という題にしたのには訳がある。これは「平家の物語」であって「平家物語」ではない。

 第一話で殿下乗合事件を「語り」と「紙芝居」で済ませていることからわかるように、この作品には古典としての「平家物語」を語るつもりがない。これは作中の運動、何が動いているかを観ていればよくわかる。

 代表的なのは「眼」と「手」の連動だ。眼そのものが何を観ているか、については多くは語らない。三井寺、壇ノ浦、平家物語を児童書で読んだ人間にもそれが何であるかは容易に想像できるだろう。いや、できてしまう、と言うべきか。そこには平家物語という既存の物語以上のものはない。脚本上の設定から導き出された当然の帰結だ。(涙、瞳孔等々の情緒を表す「目」ももちろん登場するが、主題から逸れるのでここでは触れない)

 しかし、「手」にはそれがない。むしろ「手」はそれを塞ごうとする。びわも重盛も未来がフラッシュバックする瞬間に手で眼を塞ぎ、拒絶しようとする。この彼らの反応は我々にとっては古典として語られてきた平家「物語」の拒絶でもある。物語を語ること/読むことへの疑問と言ってもいいかもしれない。

 予備的なショットだが手に関する動きは他にもある。平家一門や清盛がはしゃいだ時に挿入される「禿頭を叩く手」、重盛がびわと出会う所で他の武士の「抜刀を止める手」、手、手、手...。冒頭、取締りを行うかむろにびわが詰め寄ろうとする場面でそれを父親が引きとめようとするが、そこにも「引き止める手」の運動がある。手が物語を突き動かしていく。

 語る手段は他にもあったはずだ。映画なら衣笠貞次郎の地獄門や横溝健二の新平家物語、もうちょっと遡れば講談、さらにさらに遡れば平曲だってある。(琵琶法師に至っては冒頭で「斬られている」)しかし、この作品はその「血湧き肉躍る」「焼き直し」を拒絶し、語りそものを疑問視している。

 だから、この作品は「平家物語」ではない。起承転結、序破急、文化的類型、そういったものに通じる道を「運動」することで自ら閉じている。文字をなぞるのでもなく、語り聞かせるのでもなく、自ら動くことによって「平家」を表すためだ。

 物語の起伏に乏しい、といえばそうかもしれない。商業作品である以上は読者を取り込む努力はしなければならない。ただ、それが古典である必要もない。山田尚子のファンであってもかまわないはずだ。言ってしまえば、作家主義を貫き通すことで古典的類型から離れる、ということも可能になる。そういう意味では僕好みだし面白かった。

 

 そんな感じで観た平家物語だけど、これ見て思い出したのがベケットゴドーを待ちながらだったんだよね。人を「待つ時間」の「空間的実在感」。この作品の批評には物語る事、人を煽動することはファシズム的だ、というのがあって、今回のレビューモドキにはその観点がかなり入っている。というか別役実や等々不条理劇の独白は累計の解体や時間の引き延ばしを目的としているから別に珍しいものではないかもしれない。案外、昨今のアニメも現代劇として通用するかもしれないなぁ。(御先祖様万々歳及び押井作品は諸にそれだけど、あれは異端だしなぁ……。)

 

 ながなが書いてたけど掃除せんと。五徳にこびりついた焦げ付きが、油が取れねぇ!

11月に読んだ本

 先月より千頁ほど減った3816を読んだらしい。いや、優劣傾向いろいろあるから頁なんて数えても何も得られないのだけれど。ただ、今月に限っては本どころではなかった。スワンソングで頭が埋まっていた。

 ホッブズドストエフスキーカミュ、彼らのエッセンスが詰まっているような、そんな夢のような作品だ。混沌からの共同体の成立、組織化に伴う内紛、そこに生まれる罪悪、贖罪。

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 いや、巨匠の名前をだらだらと書き連ねるのは失礼かもしれないな。投げるような言い方をすれば、個人的には僕の大学時代が詰まったような内容だった。こんなにも自分のためにあるような作品だと思ったのはディケンズ以来だろうか。

 ちょっとヴェイユのことを思い出した。原罪についての考え方や奇跡に対してひたすら受動的あるところなんか似ている。読解を担当していた教授が「彼女にとっての神は仰ぎ見る対象、「信仰」ではない。あくまで「信」。仏教に似てもいるが、ただ待ち望むためにある」と言っていたけど、これをホッブズの思想とうまくかみ合わせてある。作中には竜樹という明らかに大乗仏教を意識した人物が登場するのにあくまで西欧的な理屈のなかで発展させようとしているのも面白い。

 あとムンクの群像画もあったな。用法はブリューゲル的で、死を前にした「不安」の「群れ」を表していた。そしてこれが闘争や共同体といった表象を通してホッブズに肉薄する。万人の万人に対する闘争。

 嗚呼、言葉にしたいことがたくさんあるのにもやもやしてできない。書きたいことは山ほどあるはずなのに。そんな感じでスワンソングおすすめ。


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 紙の方も時間をかけてちまちま読んだ。読解力が落ちるので。

 谷崎潤一郎記念館に行くか、みたいな話があったので数冊ほど読み直したけど中止になったな。春琴抄と刺青の二冊は良かった。尊いと言った方が正しいか。

 ただ純愛なので縁はない。というか無垢なものを読むと喉が渇く。悲恋失恋の方がいい。たぶん自分の人生と合致しているからだと思うが養分になる。いやでも「秘密」は悲恋ストーカーものだったな。犯人の側に共感する、という意味であれは面白かった。

 そんな感じ。そういうわけで来年は悲恋失恋を読んでいきたい。

 

2021年11月の読書メーター
読んだ本の数:15冊
読んだページ数:3816ページ
ナイス数:83ナイス

https://bookmeter.com/users/159174/summary/monthly/2021/11
■若い兵士のとき (改版) (岩波少年文庫)
ドイツの戦記にしては泥臭い、が、単に汚いのではなくどこまでも日常感が漂っている。死体した兵士のピカピカのブーツを剥ぎ取ろうとするドイツ兵に息も絶え絶えな負傷兵を面倒そうな顔で見下ろす軍医、出征する兵士の親に向って”終わり次第作業に入ってくれ”と圧をかける職長。かといって傍観している主人公が何もしていない、というわけでもなく下士官に任命されたら部下を泥沼に突っ込ませるし撤退の際には民間人を蹴散らして戦車を走らせる。仕事だから、生き残るためだから、いくらでも理由は思いつくがそのどれもが同時代的な問題を孕
読了日:11月28日 著者:ハンス・ペーター・リヒター
https://bookmeter.com/books/497152

■ぼくたちもそこにいた (岩波少年文庫)
国家主義とか洗脳とか特殊なように見えるけれど、結局のところ物事をどんどん単純化していって共同体の方針と摩り替えていいように従わせる方法だということがわかる。校長が朝礼で道徳を云々をだらだらしゃべった挙句にヒトラーを称え、ヒトラーユーゲントを持ち上げるって状況は甲子園に出征していく球児を見送る高校のそれとあまりかわらないし、子どもたちが青春をかけて戦闘訓練に励むというのもシチュエーションとしては高校野球のそれと同じ。
読了日:11月23日 著者:ハンス・ペーター リヒター
https://bookmeter.com/books/61367

■あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 520)
窓硝子を割った責任の押し付けとかプールでユダヤ人と同じ水に浸かったことへの嫌悪感とか、そういう肌感覚に関わる部分が印象的だった。もちろん暴力や略奪も描いてはいるのだれど、そういった”わかりやすい”犯罪行為”以前の部分が不安を誘う。昨今のコロナ情勢下では人前でマスクを外すと刺々しい目で見られるけれど、こういう穢れ=排除すべき、という考え方は作中の差別にも通じていて、半世紀前のドイツにいたら自分もやってしまうのではないかと事を考えさせられる。少なくとも止める側に回る事はできないと思う。世論の難しさを思い知ら
読了日:11月23日 著者:ハンス・ペーター・リヒター
https://bookmeter.com/books/449614

■ベルリン1919 赤い水兵(上) (岩波少年文庫)
戦時下を舞台にしておいて革命や共産主義について自由に議論しているって所から無理があるし、真っ当な保守派が一人もいない状況はもう不可能としか言いようがない。WW1の状況説明も噛み砕きすぎて流動食状態になっている。あと「お腹が減った」状態をままにお腹を空かせてたなんて書いてしまう詩情のなさには辟易した。セクト化を警戒するエーベルト支持者とスパルタクス派がにらみ合う場面はまぁまぁだけど、良いところはそれだけ。ピオニール向けの教科書みたい。
読了日:11月19日 著者:クラウス・コルドン
https://bookmeter.com/books/15112063

羅生門/杜子春 (岩波少年文庫 509)
蜘蛛の糸なんかは文字通りにそうだけど、最後にフッと緊張の糸が切れる感じがいい。魔術も杜子春も強欲が祟ってひっくり返る御話。仙人と羅生門は逆に欲を煮詰める型だけど、これはこれで重みがあって楽しかった。
読了日:11月18日 著者:芥川 龍之介
https://bookmeter.com/books/220081

山椒魚 しびれ池のカモ (岩波少年文庫)
しびれ池の鴨はままに政治風刺なのだろうけれど、人形ものとしても面白い。馬鹿だの生意気だのと罵られていた「剥製の鴨」が鴨の大将となり人間を翻弄する楽しさ、最後には人間に釣らせた鮒によって動力を得る滑稽な感じがこそばゆい。山椒魚とサワンも囚われることの窮屈さが出ていて良かった。
読了日:11月18日 著者:井伏 鱒二
https://bookmeter.com/books/153786

走れメロス 富嶽百景 (岩波少年文庫 (553))
やっぱり富嶽百景が際立っている。ものを書き写すのではなく紙に、心に投影することで富士は無限の存在になっていく。メロスも疑心暗鬼になった王を友情ひとつで浄化してあいまうのがいい。浦島とかちかち山はいつもの太宰という感じ。一言余計なんだよ。
読了日:11月17日 著者:太宰 治
https://bookmeter.com/books/419923

■女生徒 (角川文庫)
父の不在や自分の意志とは無関係に成長する身体といった思春期の不安、拡散していくアイデンティティプルースト風に描写していて面白かった。が、その短編自体が某女生徒の日記からの流用というのが悲しい。今まで読んだ太宰作品でいちばん好きかもしれない、とか思った途端にこれだよ。計算ずくなのかもしれないが、太宰はいつも人をイライラさせて振り回すね。
読了日:11月17日 著者:太宰 治
https://bookmeter.com/books/563487

人間失格 (角川文庫)
出版社の女のもとに転がり込んだり女に空の財布を笑われて一緒に海に飛び込んだり窓一枚隔て寝取られの現場を目撃したり、概ね太宰治という人間の自伝。そういうフィクションか?と思わせるくらいに女のことしか書いてない。太宰に深遠な思想なんてものを期待してもしょうがないけど、この題名でこれを世に出す勇気というか傲慢にはちょっと感心した。
読了日:11月15日 著者:太宰 治
https://bookmeter.com/books/569511

■刺青・少年・秘密 (角川文庫)
エロ(刺青)ありサイコホラー(悪魔)ありコメディ(幇間)ありミステリー(秘密)ありのジャンル総なめの短編集。主題も表現も越境的で、サドマゾに括られがちな谷崎が如何に複雑な作家だったかを思い知らせてくれる。今でいうストーカーを不気味に、得体のしれない化物として描いた「悪魔」と洋館ホラーとサドマゾを合わせた「少年」が好き。
読了日:11月14日 著者:谷崎 潤一郎
https://bookmeter.com/books/17331317

春琴抄 (角川文庫)
ひたすらツンが続くツンデレ。デレの方はほとんど書かれてはいないのだけれど、不思議と伝わってくる。冷え性の春琴を身体で暖める場面や妊娠をひた隠しにする等はもちろん「エロ」いのだけれど、春琴を襲った不幸や佐助の決断の比重が多い。むしろ純愛として読まれるべき作品だと思う。(文字通り)盲目の恋愛小説。
読了日:11月11日 著者:谷崎 潤一郎
https://bookmeter.com/books/11001128

■暗い部屋 特典小冊子
野球部に入ろうからあなたには資格がありません、までの飛躍とそのあとの只管傷つけるための罵詈雑言がすごい、傷口にめっちゃ染みる。
読了日:11月04日 著者:唐辺葉介
https://bookmeter.com/books/10341875

PSYCHE (プシュケ) (スクウェア・エニックス・ノベルズ)
どこまでも曖昧で都合のいい小説だけど、それがそっくりそのまま仕掛けになっているすごさ。藍子が飲まなかった紅茶も、姉の亡霊への嫌悪も夢に合わせて脳をチューニングした結果として生まれた現象で、そういったメタ認知が虚構の骨格を再帰的に補強している。蝶を飲んでイマジナリーファミリーを生み出すあたりの発想もすごい。まさか例え話が幻覚として実体化するとは荘子も思わなかったろう。
読了日:11月04日 著者:唐辺 葉介
https://bookmeter.com/books/571466

■死体泥棒 (星海社FICTIONS)
死体を盗んでどうこうではなく真っ当なモラトリアムなラブストーリー。劇中はピエロに師事したりホームレスに殴られたり詐欺師っぽい学友に振り回されたり、と碌なことがないのだけれど、だからこそ死体との同棲生活が輝いている。臓器移植の傷痕を愛でる場面と火葬場で骨を拾う最後が悪趣味なほど詳細なのだが、それが同時に彼女との距離感を教えてくれる。骨まで愛する、というのはこういうことを言うのだな。
読了日:11月03日 著者:唐辺 葉介
https://bookmeter.com/books/4490911

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)
なんでこれが早川JAではないのか不思議なほど純度の高い医療SF。同世代のあなたのための物語よりすごい。復刊してくれ。与えられた記憶と移植した触感の記憶の齟齬、移植した記憶にない鉛筆削り、実家に、恋人に残してきた思い出。そういったオリジナルにだけ許された身分証明がクローン体のアイデンティティをずたずたに引き裂いていく。パニックに陥る検体を”ただ見ている”だけの冒頭といい最期のクローンたちの結婚と共同体の形成といい、マッドサイエンティストレベルも非常に高い。
読了日:11月03日 著者:唐辺 葉介
https://bookmeter.com/books/4017092


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