2008
東欧がキナ臭い。戦争から七十年も経てば戦争体験者も数を減らし、生の体験は失われる。そろそろ世界大戦か、という根拠のない予感がここ五年ほどあったが、それが現実になった。
というのは正に根拠のない妄想で世界はそんな杓子ではかったようには出来ていない。身近に感じたから”今起こっている”と錯覚するだけで世界にはいつだって戦争が蔓延っている。少なくとも東欧にとってソ連崩壊は三十年前の出来事で、あの国を体験した人々はまだまだ現役だ。崩壊したあとも東欧ならユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラン、イラク、第三世界、いつだって戦争があった。
とはいえ、それをすべて自覚するのは難しい。というか不可能だ。俺も忘れていた。そんなわけで、この演奏を思い出した。
2008年の南オセチア紛争の時に慰問に訪れたゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の演奏。鎮魂の演奏と思いきや演目がそうではない。プログラムはチャイコフスキーの交響曲第五番の抜粋にはじまり、戦争交響曲とも言われるショスタコーヴィチの交響曲第七番の第一楽章”だけ”、チャイコフスキーの交響曲第六番の第三、四楽章”だけ”で終わる。
こんな景気のいいプログラムはファミリーコンサート、いやニューイヤーコンサートでも見たことがない。これが同じショスタコーヴィチの八番やチャイコフスキーの六番全曲(他で演奏してはいる)ならまだ逆説とも読めるが、ここまでイデオロギーがあからさまでは弁護はできない。東欧での一件以来、彼をフルトヴェングラーと比較する向きがある。しかし、彼のこの演奏会、当時のメディアへの露出と発言を省みれば同一視するのは難しいだろう。(比較するならカラヤンだろうか。ヤンソンスと比較するのは論外だろうし)
私はここで何かを批判するつもりはない。むしろ、2008年当時のことを忘れていた自分に唖然とする。戦争はとっくにはじまっていたし、その自覚がなかっただけなのだ。これは東欧での出来事だけには限らない。もう私は去年カブールで起こったことも忘れている。タリバン政権の動向は?シャリーア法の施行は?あれからまだ半年も経っていないではないか。人間は万能ではない。これから全てを知ることはできないし、全てを覚えているわけではない。しかし、何か忘れていないか、取りこぼしていないか、それを自覚し、注意しながら意識を巡らせることくらいはできるのではないか。少なくとも”西側にいるから安全だった”くらいのことは常に感じているべきではなかったか。
かの指揮者の境遇とそれに対する反応を見てそんなことを思った。