2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

ダンジョン飯 2巻

剣と魔法の世界の料理本かと思いきや、今回も鼻行類に似た魔界生態研究報告だった。ゴーレム畑(自律警備システムを搭載)とかもう青背の発想。

 

 

ダンジョン飯 1巻<ダンジョン飯> (ビームコミックス(ハルタ))

魔物を煮たり焼いたり食べたりするRPG料理本。宿や屋台を食べ歩くような所謂グルメ本というより魔物をつかった思考実験、作風は鼻行類に近い。魔物の筋の入り方を分析して倒し方、捌き方を研究したり解剖図で部位を示して適した調理法を模索したりとひとつひとつの説明に妙な説得力がある。ダンジョン内部の生態系を把握して生息域を把握し、自分が口にしている料理の食材に思いを馳せ(時には拒絶す)るところは特に斬新だった。SF的な発想が詰まった素晴らしい一冊。

p.7,13,20,30,53,62,69,126,130,173

 

 

「イギリス社会」入門―日本人に伝えたい本当の英国 (NHK出版新書 354)

 中流生まれのオックスフォード卒、日米で特派員として活躍した経歴を持つイギリス人による英国文化レポート。ユニオンジャックに封じられたアイルランドのセント・パトリック・クロス、労働者の味方を演じるために名門校の服装を隠そうとする政治家、母語である英語の主流をアメリカにとられて傷つく一方で、アメリカ人によって再建されたグローブ座でシェイクスピアを観劇する英国人。大英帝国の亡霊と新たな社会の波の間で揺れ動く姿が印象的だ。欧州大戦初期の頃に戦線地図ならぬ紅茶地図を作製したというエピーソドはイギリスらしい皮肉と愛情の共存を感じさせる。

 単なる自虐混じりのお国自慢かと思えばそうではない。扱っているテーマは階級、王室といったイギリスらしいものからパブで暴れる若者といったどこにでもありそうなものまで幅広い。恥じらいもなくイスラム教徒を差別し、アイルランドを罵倒する人物としてジェレミー・クラークソンの名前も登場する。著者は彼を好ましからぬ人物として紹介しているが、彼が道路の速度制限や環境保全への疑問を口にするとき、英国人は彼に共感しているのだとやんわり肯定している。イギリス人といえば、常に物事を二面的に捉えてブリティッシュジョークをとばすようなひねくれ者として描かれることが多いから、こういう直情的な見方を提供してくれるのは新鮮だしありがたい。それが親近感と文化の隔たりを同時に、生々しく伝えてくれる。

 オーウェルにも似た皮肉のきいた文体が独特で癖になる一冊だった。

 

「イギリス社会」入門―日本人に伝えたい本当の英国 (NHK出版新書 354)

「イギリス社会」入門―日本人に伝えたい本当の英国 (NHK出版新書 354)

 

 p.17,36,51,74,101,115,126,128,198

ワーグナー:楽劇《ジークフリート》 [メト1990年版]

 第一夜で神々に追い詰められたジークムント、ジークリンデの残した子ジークフリートの英雄譚、彼と神々を裏切ったブリュンヒルデが交わる物語。権力から解き放たれたふたつの血が交わり、いよいよ北欧神話と伝説が交錯する。

 この第二夜にはクロスオーバー作品と同じ楽しみがある。ワルキューレ第一幕の春と愛で生まれた子ジークフリートと彼の良心を庇って魔の炎の中に閉じ込められたブリュンヒルデが交わる。育ての親はラインの黄金でアルベリヒの下で奴隷として働いていたミーメ、祖父は三夜すべてに諸悪の根源として登場するヴォータンだ。祖父がミーメと会話する舞台ではラインの黄金の空気が醸成され、祖父がジークフリートに契約の鉾を叩き折られる瞬間、それまでの神々の権力闘争がデフォルトに戻ったことが示されるこの第二夜は英雄譚としては完成度が高い。

 

 ただし見過ごされがちなのだが、その英雄譚というカテゴリーそのものがワーグナーによって憎まれ、ナチズムによって信奉されたものに他ならない。ジークフリートは三幕のうち半分を暴力とともに過ごす。ホイホー!ホイホー!!と叫びながらミーメの鍛冶場に飛び出してきたかと思えば、育ての親に対して顔が醜いと”美声”で怒鳴りつけ、本当の親は俺のようなイケメンのはずだとわめき散らして”英雄ジークムントの子だという過去”を手に入れる。四夜のうちジークフリートだけを抜き出して考えればわかることだが(我々は序夜のヴォータンによる巨人族やアルベリヒへの虐待を思い出すべきだ)、こういった彼の暴虐無人な振る舞いはヴォータンから引き継がれたヴェルズングの血とテノールによって肯定されている。かつてドイツ人が信仰したゲルマン民族の優越性と独ソ戦での振るまいと何ら変わりないのだ。

 オットー・シェンクは大陸では遥か昔に失われた、絵画的ゲルマン的な風景をアメリカの地で再現した。メルヘンチックな舞台は様々な伝説から集ったゲルマンの神々、英雄が優雅に歌い合う光景にふさわしいだろう。しかし、それがワーグナーの楽劇をバイロイト以外の場所で上演することの限界を示してもいる。金髪碧眼で筋骨隆々のジークフリートブリュンヒルデゲルマン民族の優越性を再現し、体中に腫瘍をかかえ、指環の所有権を罵り合うニーベルング族のアルベリヒとミーメはメトの人々にとっての有色人種のあるべき姿を示したに過ぎない。過去は過去でしかない。しかも、その過去はワーグナー自身がハリボテと罵倒した類の過去、バイロイトがナチズムと縁を切る意味で捨て去ったものでものなのだ。

 

ワーグナー:楽劇《ジークフリート》全曲 [DVD]

ワーグナー:楽劇《ジークフリート》全曲 [DVD]

 

 

ジークフリート伝説 ワーグナー『指環』の源流 (講談社学術文庫)

 古代ライン川のほとりに生まれたシグルドが、近世のニーベルングの指環ジークフリートとして活躍するまでを時代毎のあらすじ、造形を比較しながら追跡している本。鍛冶屋の息子として育ち、竜を殺して英雄となったフランクリン時代(記録は諸事情で散逸)、オージンの末裔として北欧神話の一員となった「エッダ」、クリームヒルトに惚れて愛を知った「ニーベルンゲンの歌」、竜を倒すことで小鳥の声を聞き自然の雄大さを知る術を得た「竜殺しのジークフリート」、それらすべてを内包し、神々の黄昏を招いた「ニーベルングの指環」。特に楽劇では竜退治のあとに登場する「森のささやき」(葬送行進曲でも示導動機として登場する)が最初は鍛冶屋の策謀を密告する声でしかなかったいうのには驚いた。ドイツロマン派が密告を森のささやきと読み替えなければジークフリートは愛に目覚めず、ブリュンヒルデとの出会いもなかったのだ。

 また、ジークフリート像の後追いにとどまらず、指環の主題である「愛と救済」(愛と権力の対決)がニーベルンゲンの歌でクリームヒルト(夫の復讐)とハーゲン(権力欲)の対立として、(ラインの黄金のように愛についてのものではないが)黄金に呪いがかけられてジグルドの運命を左右するという流れがフケーの戯曲に存在しているとするという情報も掲載されており、楽劇自体の構造、歴史についても追求されていて興味深い。

 比較にはいるまえに、いくつも同じようなあらすじが掲載されているため読み物としては退屈だが、楽劇のルーツを知る上ではこれ以上ないくらい適切な史料だろう。あとがきの「先生と研究室に残って四夜連続で聞いた指環の話」も泣けた。

p.39,62,90,98,119,146,150.174.262

 

ジークフリート伝説 ワーグナー『指環』の源流 (講談社学術文庫)

ジークフリート伝説 ワーグナー『指環』の源流 (講談社学術文庫)

 

 

ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

 血の復讐編。前編の見せかけの和解がじわじわと事態を悪化させていく。クリムヒルトは改心に見せかけてエッツェルと結婚し新たに従えた部下で復讐を企て、グンテルは和解したのだからと呑気に国へとはいる。(デンマークやブリュンヒルトの問題解決策をすべて他人に委ねていた彼らしい)。仲直りしたと思い込んでいる兄と復讐に燃える妹のすれ違いが哀しい。やがてフン族の王子の首は刎ねられ王妃の足元へ、雑兵は藁のように薙ぎ倒され、バイオリン弾きの指は飛ばされる。ごろごろと転がった死体の血は「酒よりもうまい」とハゲネらにすすられ、残ったものは戦闘の邪魔だと城から投げ落とされる。凄惨な光景がひたすら二百ページにもわたって綴られ、それを締めるようにハゲネの首が刎ねられる光景はゲルマン的忠誠や契約、情念の恐ろしさを思い知らせるものだろう。(ハゲネが「主君がいるかぎり宝の在処を吐かない」と断言した途端にグンテルの首が刎ねられるのが象徴的だ。契約は履行されなければならない)。

 前編ではジークフリトやブリュンヒルトが忠誠を誓いさえすればトントン拍子で物事が進んでいったのに対して、エッツェルはハゲネを前にして何度も怖気づいている。肝心の戦端をひらいたブルーデルも富と女を引き換えに動いており、ブルゴンドの連中とは随分と性質が違うのだが、これが当時のフン族の解釈なのだろうか。

p.39,91,162,190,208,225,260,265,234

 

 

ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

 

 

ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)

 前編の魅力はなんといっても武人の迫力、忠誠心の力強さにあるだろう。国のすべてを奪い取るととんでもない宣言をしながら現れるジークフリトとその迫力に魅了されるグンテル王、そこで結ばれた男同士の絆によって成されるデンマルク征服、競技会の敗者の首を次々とはねる鋼の女ブリュンヒルトとの(卑怯にも透明頭巾をつかった)結婚と征服といった数々の偉業。野蛮なマッチョイズムと言ってしまえばそれまでだが、だからこそ感じられるゲルマン的な力強さがある。 

ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)

ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)