2013/06/01-

時間の無駄だから読まないほうがいいよ。

ワーグナー:楽劇《ワルキューレ》バイロイト音楽祭2010 [Blu-ray]

  読替えという意味ではシェローやクプファーの域を出ていない。メト版ほどではないにしろ、ほどよくわかりやすい舞台なのは、バイロイトお気に入りのティーレマンの指揮を邪魔しないように配慮してのことだろう。

 読替えではないが、フリッカとの論争中にもう一人のヴォータンが現れ音楽にあわせて内面を表現しているのは印象的だった。フリッカに脅される場面では本人とは別方向から睨み返し、ジークムントの殺害を決意する瞬間に鉾を真っ二つに折ってしまう。

 あと、ライティングもなかなかよかった。例えば第一幕の鍵であるノートゥングはサーチライトがジークリンデの歌と視点を追うようにして地面を履い、トネリコに突き刺さった状態で発見される。魔の炎は愛娘ブリュンヒルデを包む火炎は弦楽に促されるようにして灯っていくという具合だ。

 ちなみに第三幕の演出は白布に包まれた英雄の遺体をワルキューレが運ぶというもので、88年のクプファー演出を踏襲したものになっていた。

 全体的に面白いとは思うのだが、せっかくライトモチーフという他の劇にはない武器をもっているのだから、メトロポリタンのようなわかりやすさの罠にかかることもなかったのではないか、とも思う。振り付けにメタな意味付けをしたり他にやりようもあるだろうに。

 

 ティーレマンの指揮はなかなかのもので、弦楽を軸にして、残響音こみで観客を畳み掛けるようにして観客を襲う音の波は恐怖すら感じる。20世紀のハンス・クナッパーツブッシュと呼ばれるだけあった。

 

 

ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》(メト1990年版)

  ラインの黄金に引き続いてワルキューレを観てみた。ヴォータンの息子ジークムントと娘ジークリンデの駆落と惨殺の悲劇が描かれており、ウォルスング家の物語が元となっている。原作は二人の悲哀が基軸だが、本作では彼らの父であり剣ノートゥングを与え支援したヴォータンと近親相姦と不倫を許さずヴォルフング家を用いて抹殺しようとするフリッカの対立が重ねあわせられ重層感が増している。彼らの子どもがやがてトネリコ炎上の引き金になるというのも憎らしい伏線だ。

 三幕では彼を庇って大神の怒りを買い、炎に包まれた岩山に閉じ込められうブリュンヒルデが描かれる。ラインの黄金と並ぶ、一見神々しいおはなしなのだが、これも神々の黄昏の前奏曲になっている。部分的には喜劇的悲劇、俯瞰的に観ても喜劇的悲劇という何とも味わい深い作品構成だ。

 さて、序章が神々の物語だったのに対して、第一夜は人間ドラマになっている。女神がほとんど登場しないため、舞台、衣装共にローマ、ゲルマン風に演出が統一されている。例えばヴォータンはラインの黄金に登場した時と同じくローマ風のマントに胸甲、ブリュンヒルデをはじめとしたワルキューレたちも大神の部下ということで同じ服装に統一されている。ジークムントは逃亡中なので、鎧は着用せず着の身着のままだが、身にまとっている物自体はワルキューレたちの下位互換といったところだ。フンディングの館もそれにならってバイキング風の掘っ立て小屋になっている。なお、魔の炎があがるヒンダルフィヤル山も単なる岩山であり非常に簡素にしあげてある。

 驚いたのは歌手たちの激しい身振り手振りとそのわかり易さだ。ジークリンデは真っ白な歯をむき出しにした笑顔で戦士に水を振るまい、戦士が戦歴を語るとフンディングが目をギョロつかせて聞き入る。フンディングはジークリンデが戦士の妹だと発覚した途端に略奪したことを誇示するように顎を出して誇らしげに笑うのだが、この表情が絶妙に気持ち悪い。

 とどめは春と愛の演奏開始と共にバタンッ音を立てて開くフンディング邸の扉。恋が実ったからといって風が吹くだろうか、という反物語的な疑問はさておいても、ライトモチーフを含めた音楽による内面、状況表現が主なバイロイトとは真っ向から対立するような演出であることは間違いない。

 指輪物語を彷彿とさせるような毳毳しい舞台に無声映画時代を思わせるオーバーリアクションの連続、バイロイトの近代演出を愛好する人々からすれば身の毛もよだつようなワルキューレだが、個人的には気にいっている。私はもともと第一幕の純愛というテーマに非常に貴族的、オペラ的なものを感じていて、春の歌も嫌いだ。だからベーム版のジェームズ・キングとレオニー・リザネク色っぽい掛け合いであろうと印象は残らないし、むしろここまで脱臭され記号化されると白けもしないので調度良い。かなり身勝手な理由ではあるが、なかなか楽しめるワルキューレだった。

 

ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》全曲 [DVD]

ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》全曲 [DVD]

 

 

追記

そういえば第三幕冒頭の騎行にはワルキューレ以外の人物が登場しない、つまり英雄たちの死体が登場しない。まさに地獄の黙示録の”突撃する戦乙女”といった風な演出で、ヴォータンの英雄コレクションを支える女たちにはとてもじゃないが見えないのだ。1990年といえば、時期的にはバイロイトでクプファーの演出と重なっている。向こうはシェローの解釈をもとにミイラを運ぶヴァルキューレとなっていたが、同じ時期に上演されたものにこれほど差があるというのも興味深い。

ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》(メト版)

  北欧神話のヴォータンと巨人の間に起こった神々の住処の賃金未払い騒動を種にした楽劇。原作ではトールによって巨人が打倒され物語は終わるが、本作ではギリシャ悲劇を思わせる災禍の連鎖となっているのが面白い。借金前借りで自分の城を建てるヴォータン、取立てに来た巨人を殴り殺そうとするドンナー(トール)、ラインの乙女に失恋し、慰めに彼女から奪った黄金でつくった指輪をさらにヴォータンの借金返済のために奪い取ら世界を呪うアルベリヒ、ヴォータンから借金代わりに渡された指輪に呪い殺される巨人族、最初から最後まで嘆き悲しみ唄うラインの乙女たち。全体を包み込むようにちりばめられた悲劇が心を打つ。また、悲劇は小人と巨人だけにとどまらず、ヴォータンも巻き込んだ指輪の奪い合いへと発展して神々の分裂を招き、黄金自体は第二夜のジークフリート、ギービヒ家によって拾われ神々の黄昏へとつながっていくのだが、このスケール感も中々。

 演出はオットー・シェンクによるもので、絵画のような幻想的な雰囲気が漂っている。書割いっぱいに描かれたヴァルハラの下でローマ風の鎧にマントを着用し権力を振り回すヴォータンと彼に振り回されるギリシャ風のキトンを着た女たち、その周辺で巧みに距離を取りながら神々を翻弄する蔦だらけのローゲ。羽衣をまとって岩山を上へ下へと舞うラインの乙女とそれを必死に追うヒキガエルのようなアルベリッヒはアンデルセンの童話を思い出させるし、全体的に完成度は高いとは思う。

 ただ、ワーグナー自身が嫌悪した「見た目だけ荘厳で、中身を伴わない演出」であることは否めない。衣装ひとつとってもヴォータンはローマ、フリッカはギリシャと国はばらばらで統一感がない。

 特にアルベリッヒはラインの乙女にいじめられるためだけの造形で辟易させられた。”愛を捨て権力をとること”で政治力を振り回し、見せかけの愛と繁栄を謳歌する傲慢な神々に対置することになる人物なのに、見た目で悪を表現しても意味はないだろう。(王服から背広への交代劇として描いたシェローの方がまだ物語を立体的に表現できている)

 いずれにせよ、(非歴史的)絵画史的な意味でのゲルマン史の延長で指環を演出した記録映像はこの他には存在しないので貴重な存在だといえる。また、ブロードウェイの国だけあって振付もわかりやすいし、初心者にはもってこいの作品なのではないか。

 

ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》全曲 [DVD]

ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》全曲 [DVD]

 

 

未来の芸術 バイロイト祝祭劇100年

 1976年までのバイロイトの歴史をワーグナーの生涯、参加した指揮者や演出家を追いながら紹介しているドキュメンタリー。パリオペラ座のブルジョア趣味に対抗してバイロイトの地が選ばれた話にはじまり、全木製の劇場構造、地下に設置されたことで独特な音場を獲得したオーケストラピット等々の定番の説明が並ぶ。

 ワーグナーの浪費癖やそれに振り回されたバイエルン王、コジマやマティルデをはじめとする女性遍歴については一切触れられていない。ヴィニフレートも一応は紹介されてはいるが、ヒトラーと握手をした人物程度の扱いだが、劇場の宣伝を兼ねた作品なので、汚い話をしないのは当然といえば当然か。

 面白かったのは音楽祭の稽古風景で、ヴィーラントやクナッパーツブッシュといった新バイロイトを支えた人々が歌ったり稽古をつけたりしている姿を観ることができる。舞台を走りまわって演技を指導するヴィーラント・ワーグナー、照明スイッチをいじくりまわすエバーハルト、無言で威圧しながら指揮棒を振るクナッパーツブッシュとノリノリでメロディを口ずさみながらワルキューレの調整をするカール・ベーム

(ただし、残念なことにカラー映像は一切ない。伝説的なクナのパルシファルやPHILIPSベーム指揮の指環の表紙を飾っている新バイロイトの照明がどのように操作されていたのか知ることができれば文句はなかったのだが)

 ドキュメンタリーはヴィーラント、ヴォルフガングの時代を総ざらいして、ブーレーズへのインタビューで締められる。彼はのちにシェローと組んで”あの”舞台を世に送り出すことになるのだが、それを示唆させるような雰囲気はない。このあとの大騒動のことを思うとわくわくさせる絵面だった。

 淡々としていて目新しい主張やらがないので得るものは少なかったが、戦後バイロイトを映像で眺めることができたのは良い経験だった。

未来の芸術 バイロイト祝祭劇100年 [DVD]

未来の芸術 バイロイト祝祭劇100年 [DVD]

 

 

シンゴジラ

 16年現在の災害対策映画。東日本大震災の報道映像を引用した破壊描写、が印象的だ。崩落する海底トンネル、レジャーボートを市街に吐き出しながら逆流する川、区画毎に停電する町々、闇夜の渋滞に取り残された市民たち、火災旋風に巻き上げられる車列。東日本大震災の引用自体はインデペンデンス・デイでも取り入れられていたが、生活感の演出はこの作品が一歩先んじている。倒壊するマンションの中に取り残された家族、取り残されて街を徘徊する老人たちは東京が人間の住む街であることを犠牲をもって証明した。

(意外だったのが、エヴァでは引用にとどまっていた庵野実相寺風レイアウトが状況の混乱を巧みに演出していていたことだ。反射鏡や道路標識に焦点が合わされる中でその前後を顔や背中だけを見せて走り抜ける群衆、歩道橋に足だけを見せて避難する東京都民。あえてベースラインを崩した避難映像がむき出しになった都市構造を的確に捉えている)

  作業着を演出的に着用し、混沌とした状況の中で会議場をぐるぐると回りつづけて書類仕事に振り回される(カット割りだけは勇ましい)役人たちと彼らの手となり足となり筋肉ともなる(長回し多用の特撮的)自衛隊の対比的な描写も震災当時の状況を見事に再現している。

 こういった人間の臭いのする東京が官民もろとも焼き払われたという意味では、この作品は冷戦構造に翻弄される日本の地政学的立ち位置の比喩に終止したゴジラ(84)よりも東京大空襲の再現を目指したオリジナルのゴジラ(54)に近い。いや、近いだけではなく震災を比喩し、役人視点で段階的に再軍備を描いているという点では、これまでになかったタイプの怪獣映画だとも言えるだろう。

 日本を破壊することで逆説的に日本の繁栄の程度を示し続けてきた怪獣が、東京を破壊することでこの国の異様な復元性能を示し、戦後の終わり方をも予言した。非常に刺激的で、示唆に富んだ作品だ。

 

f:id:efnran:20160801233944j:plain

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

 エッダとその周辺の伝説を集めたゲルマンアンソロ。神々の住処の建築費の支払いを迫る巨人と彼らから何とか逃げようとする神ヴォータン、その巨人を槌(と鉄手袋)で殴り追い落とす息子のトール、彼の力に幻覚によって勝利するロキ、彼らの世界を支えるユグドラシルの木と根元で世界の運命を見つめるノルン。最後には世界もろとも炎で燃え尽きてしまうところはナチズムの破滅願望に通じるものがある。ギリシア神話と同じくらいに汗臭いが、妙に近代っぽさも感じられる不思議な神話だ。

 注目すべきはジークフリート伝説の原型であるウォルスング家の物語だろう。多くの書物ジークフリート(シグルド)に焦点を絞っている中、本書は彼に至る流れを塩から発掘された神と巨人ユミルの間に生まれたオーディン、シグムントとシグルドの近親相姦とその結末までをひとつの流れを見渡せるようになっている。

 

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

北欧神話と伝説 (講談社学術文庫)

 

 

 

図解 北欧神話 (F-Files No.010)

  物語によってキャラがぶれる北欧神話の登場人物を要領よくひとつにまとめている。キャラクター図鑑感覚で読めるので、マイティ・ソー等々の元ネタを探すにはもってこいの本。巻末にしっかりとした参考文献一覧(ただし邦訳)も掲載されており、読書案内としても使える。ただ、様々な文献の内容が人物像を構成するために一項目に収められているため、エッダやその他伝説本に当ってから目にすると混乱する。(オーディンとジグムントの関係とか)。神話自体がオリジナルを失った二次創作の集合体のようなものだから当然なのだが、そのあたり気をつけて読む必要がある。

 

図解 北欧神話 (F-Files No.010)

図解 北欧神話 (F-Files No.010)