2013/06/01-

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加奈 ~いもうと~の雑感

 思うところがあって読み直した。

 wikipediaには泣きゲーに分類されているし、(kanonの数週間前に発売された作品ではあるが)そういう作風の作品が流行った時代のものなのでテーマ自体は珍しいものではない。が、作品の密度はただものではない。

 少女の死を描くことはこのジャンルとしては珍しくはない。to haertもそうだったし、このあとの時代に控えているAIRなどはその際たるものだ。少女の死をどう描くか、主人公(読者)はどう受け止めるべきか。恋人としてのヒロインを、家族としてのヒロインを、大切な人を失ったときに我々は何を思うべきか。泣きゲーの歴史は少女の屍の上になりたっている。

  そのなかにあってもこの作品は異様だ。まず加奈がほぼどのルートでも亡くなってしまう。例えばto haertならマルチを選ばなければ彼女が抱えている問題には最後まで触れないし、AIRも霧島と付き合えば美鈴と接触はない。が、この作品は加奈を救おうとしても、もう一人のヒロインである鹿島を選んでも運命は変わらない。また、複数の分岐があるのにヒロイン別ではないというのも珍しい。AIRのように他のヒロインを選ぶ、ということがほとんどできないし、まただからといって一本道の小説のような構成をとっていない。

 なら、なぜ分岐が必要なのかといえば、加奈の人生観を反映するためだろう。複数の選択肢のなかで、加奈は別々なものを観て、経験し、兄と交流する。ある分岐では図書館の膨大な書物を前に感動し、別な場所では水族館でイルカのショーにはしゃぎ、お祭りに出かけて疲弊する。加奈の題名にふさわしく、様々な加奈がこの作品では示される。

 そして、彼女の人生は遺書に反映される。隆道が病院に行けないでいると入院中の孤独ー家族への感謝、病気の苦痛、叫びーは録音として残され、我々は死後にそれを聞くことになる。もう一人の入院患者でホスピスにはいっている霧島親子と交流が出来た場合、それは加奈の死生観に反映され、その後の生き方に影響を与える。特に霧島親子との対話、見送りは加奈がより余命を自覚するきっかけであり、著作を残したり兄と契りを結ぶ決意として結実するため、他の分岐とは印象がまるで異なる。
  死は量ではないのかもしれない。いろいろなヒロインの悲劇を描かなくても、一人の死を角度を変えれば印象深いものになる。こんな作品は加奈以外に読んだことがないが、そんなADVの可能性を感じた。

 後記

 泣きゲーは何作もやってきたが、この作品はどうも引っかかるところがあったので三十路にはいったのをきっかけに読みなおしてみた。死といえばキューブラーロスの死ぬ瞬間、それをベースに映画化した大病人、残された人々の心理プロセスを語った小此木の対象喪失伊丹十三のお葬式、などを思い出すが、この加奈はどれとも違う。初潮を迎えたのに疲弊してトイレで対処できない、病人で育ったから兄だけが世界を与えてくれる、といった妹ゲーだからこそ成り立つ場面だろう。

 このあとに山田一田中ロミオとしてクロスチャンネル最果てのイマといったSFに作風を広げていくのだが、それ以前の加奈や家族計画はといった作品は世界をを凝縮する方に向っている。繰返される学園生活の中で他者を発見するクロスチャンネルと病室という限定された空間で余命に追われながら生きる意味を求める加奈はちょうど対になっていて面白い。(クロチャンも読み直す予定なので何かあれば追記します)

 

加奈~いもうと~

加奈~いもうと~

  • メディア: CD-ROM
 

 


加奈 ~いもうと~ OP (PSP版)