「渚にて」再読
以前の記事で僕はこの本を「ターミナルケア」を描いた本だと思っていたのだけれど、どうも違うような気がする。確かに、”死を前にした人間の反応”を描いた作品なのだけれど、放射能に犯され(作中何度も書かれているような)吐瀉物と排泄物を撒き散らして死んでいく人間はいない。メルボルンの住人は病によって死ぬ前に毒薬を手に取る予定を立て、覚悟を決めている。
だから、メルボルンの人々は(メアリーを除いて)パニックを起こさず、その死に意味を与えようと自分の人生を振り返っている。
老人はワイングラスを片手に
「このつぎまでとかいって残しておいても、なんにもならん。コバルトは五年と少しで半減期を迎えるんだからな。それでわたしはこうして週に3日ここに寄って飲みまくっているというわけさ。そのたびに一本ずつ家に持ち帰ってるしな」
「どうせ死ぬならー遠からずそうなるのはまちがいないわけだがーコレラなんかに罹ってくらばるよりはポートワインの飲み過ぎで逝ければ本望だ。」
と語りつ酒を飲み続け、偵察中の潜水艦から脱走して生地にたどり着いたスウェインは
「家に帰ってみたら、両親ともベッドで死んでいました。なにかの薬を服んだようです。娘も探しましたが、結果は同じでした。観るべきじゃありませんでした。犬も猫も鳥も、そのほかどんな生き物もすべて死んでいます。しかし、それを別にすれば、街の状態は以前とほとんど変わっていません。艦を離れたことは悪かったと思っていますがーしかし家に帰れて、自分としてはよかったです」
と話ながら釣糸を垂らし、電車の運転手は
「放射能にやられるまで走らせ続けるよ。やられたとわかったら、そのときは電車を車庫に仕舞って家に帰るさ。結局は家が本当の生活の場だからね。三十七年間、雨の日も晴れの日も走らせてきたんだ、こんなことじゃまだやめられないね」
とやりがいを語り、薬剤師は自決薬を渡しながら
「チョコレートコーティングだと、もっといいんだがね」
「それはいいわね。でも残念だけど、そんなんじゃないわ。わたしはアイスクリーム・ソーダと一緒に飲むつもりよ」
と談笑、原潜の艦長タワーズは廃墟と化しつつあるメルボルンの街をめぐって、故郷に残した妻娘のために釣り道具やホッピングを買い求める。
とどめは一家心中を遂げるメアリーの
「いつ放射能に襲われるかは、人によってみんなちがうのよね。そういうふうにいわれてるでしょ?人によっては一週間も二週間も遅れて襲われるかもしれないし。だから、わが家でも、まずわたしだけがやられて、あなたとジェニファーを残して逝っていたかもしれない。そうでなければ、ジャニファーかあるいはあなたのどちらかが先に逝って、ほかの二人が残されていたかもしれない。どちらにしても、悪夢としか思えなくて……」
目ありはやっと目をあげて、ホームズと目を合わせた。涙の奧に笑みが見えた。
「でも今、わたしたちは三人一緒に、同じ日に放射能に侵されたのよ。ラッキーなことじゃない?」」
という語り。
アル中の老人も故郷へ向かって走った水平も運転手も薬剤師も、自分のこれまでの仕事や趣味に無理な満足感や意義を与え、自殺を合理化しようとしている。この作品は人類の最後を描いた作品などではなく、集団自殺を描いた作品とも読めるのではないか。
p.68,152,252,260,282,297,307,425,427,433